佐谷眞木人『日清戦争』を読む

 佐谷眞木人『日清戦争』(講談社現代新書)を読む。副題が『「国民」の誕生』。佐谷は「はじめに」で、この戦争が「二つの意味において、近代の日本が経験した他の戦争とは大きく異なる戦争だった」と書く。そのひとつは、「日清戦争が「国民」を生んだということになる。日清戦争を共通体験の核として、日本は近代的な国民国家へと脱皮したのである」。もうひとつは、「この戦争が東アジアの国際秩序を大きく揺るがした点にある。日清戦争を契機として、日本のナショナリズムは中国大陸に伝搬し、やがて東アジア全体へと波及していくことになる。そしてその影響は、今日に及んでいる」。本書を読了して、著者のこの主張が素直に納得できた。
 2007年の朝日新聞の特集記事で、「東アジア近現代の十大出来事」というテーマで国内外の20人の識者にアンケートをとったところ、中国・台湾・韓国の研究者たちは日清戦争をアジア太平洋戦争と並ぶ近代史の最重要事件と位置づけている。対して日本人研究者は概して評価が低く、十大出来事にカウントしていない人もいる。
 アジアの研究者たちは、「日清戦争こそは、東アジアの政治秩序を揺るがし始めた最初の事件ではないか。日清戦争から日本は侵略を開始し、台湾の割譲から日本の植民地支配がはじまったのではないか」と問うているという。
 著者は、日清戦争当時の日本社会が明らかに熱狂的な昂奮のなかにあって異常だったという。そのことを探索してゆく。また日清戦争が、新聞や雑誌、写真など新しいメディアによって伝えられ、それによって日本人の共通体験となって、「国民意識」が形成されていったと分析している。
 本書は日清戦争を論じた既存のものと大きく異なっている。戦闘の詳細や戦争の経過など、また戦争や戦後処理をめぐる各国との交渉などにあまり筆を費やさない。それらはすでに多くの書物で語られてきたと言わんばかりに。代わって、戦争を受け止めた日本国民の反応を大きく取り上げている。
 戦闘中、撃たれて倒れたラッパ手が白神源次郎だったとか木口小平だったとかの詳細が語られる。当時の尋常小学校の修身教科書に載った「死んでもラッパを口から離しませんでした」という言葉が、この章の題名にもなっている。私も祖母からこの言葉を聞いていた。
 壮士芝居川上音二郎日清戦争を取り上げ、成功したことが詳しく紹介される。同時期「型」にはまった歌舞伎がこのテーマを演じて川上に敗れたことも。その結果歌舞伎は古典劇に化し、川上は新劇に近いもの、近代的リアリズム劇にまで近づいていた。川上の死とともにそれが失われたのは、「その演劇観についていける観客はまだ少なかった」せいだとされる。
 その他、当時の義勇軍運動の流行、義援金の急増、戦勝祝賀会の盛況が語られる。また泉鏡花の子供向け小説『海戦の余話』の内容が紹介され、戦争が教科書に取り入れられたことも詳述される。最後に靖国神社不忍池畔での戦病死者追悼祭等に触れ、各地に戦死者記念碑が建設されたことを書いている。三国干渉についても少し触れられている。
 総じて一般の日清戦争を語る口調とは異なり、日本国内の大衆の反応が多く語られている。それだけ平易で面白く読むことができたが、正統的な歴史書の筆法を外した叙述に対しては、「日清戦争」という題名は相応しくないのではないだろうか。たとえば、「日清戦争と国民の誕生」くらいの題名の方が体を表していないかと思うのだ。


日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)

日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)