山本弘のドローイング「愛子」


 山本弘のドローイング「愛子」、1968年4月5日制作。天地420mm、左右355mm。当時山本弘37歳、愛子夫人26歳。画面に書き込まれた日付を見ても分かるように、すでにアル中による脳血栓のため手足が不自由だった。その不自由な手でこんなに見事な線を描いている。
 この時私は19歳だった。7歳年上の愛子さんがずいぶん大人の女に見えたけれど、26歳なんてほとんど若い娘だったんだ。とてもきれいな人だった。一重瞼だったからか、いつも強いアイラインを瞼の真ん中から1本斜め上にピッと引いていた。それがこのドローイングにもはっきり描かれている。現在の彼女はもう72歳で、きれいとかきれいじゃないとかを超越している。人はいずれ超越するのだ。
 山本は映像記憶に優れていたので、モデルを目の前にしないで描いていた。愛子さんもモデルになったことは一度もないと言っていた。当時山本が所属していた飯田リアリズム美術家集団が東京からモデルを呼んでクロッキーの会を開催したときも、山本はひとり酒を飲んで会場をふらふら歩き回っていて1枚も描かなかった。後日自宅で記憶のみで見事なクロッキーを描いていた。私をモデルに油彩の作品「青年」を描き上げたときも記憶だけで完成させている。
 山本が飯田リアリズム美術家集団(通称リア美)に属していたことを、後日針生一郎さんは、山本がリアリズムなんておかしいねと言われた。飯田市では県展系の南信美術会とリア美しか選択肢がなかったのだ。山本は公募展を嫌っていて、私が上京するときも公募展は見るなと言われた。その忠告は1回を除いてほとんど守っている。
 今年7月に銀座のギャラリーでドローイングと油彩小品展を開くことに決まった。その時この作品も出品する予定。