国立新美術館で中村一美展が開かれている(5月19日まで)。これがすばらしかった。中村は1956年生まれ、しばしば東京京橋の南天子画廊で個展を開いている。野見山暁治より36歳若く1世代下ということになる。ポスト野見山は中村一美に決まったと思った。
美術館のHPに掲載されている展覧会概要から、
−絵画は何のために存するのか。絵画とは何なのか。中村は、この疑問に答えるために、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンなど、西欧のモダニズム絵画の到達点とみなされていた戦後アメリカの抽象表現主義絵画の研究から出発し、彼らの芸術を乗り越える新たな絵画・絵画理論を探求します。中村が特に参照したのは、日本の古代・中世絵画、中国宋代の山水画、朝鮮の民画など、東アジアの伝統的な絵画における空間表現や、形象の記号的・象徴的作用でした。また中村は、絵画の意味は別の絵画との差異の中にしか存在しえないという認識に基づく「示差性の絵画」という概念を、すでに1980年 代に提出しています。それゆえその絵画は、同じモティーフに拠りながらも、つねに複数の作品が差異を示しながら展開する連作として制作されてきました。「存在の鳥」連作に代表される近年の絵画では、象形文字を思わせるマトリクスに基づきながら、多様な色彩や筆触や描法を駆使することで、抽象とも具象とも分類できない、新しいタイプの絵画の創造に取り組んでいます。
展覧会では、学生時代の習作から最新作「聖」まで、およそ150点の作品によって中村一美の絵画実践の全貌を紹介するとともに、2010年に構想されなが ら実現を見ていない、斜行グリッドによるウォール・ペインティングを初めて公開いたします。日本の現代絵画・現代美術の、到達点の一つを確認する絶好の機会となることでしょう。
これによると中村は理論派のようだ。展覧会の分厚いカタログにも、中村のエッセイが掲載されていて、それは「『正法眼蔵』における差異性」と題されていて、道元の言葉を引いて絵と実体が同等だと言っているようだ。また「存在の鳥・雑記」というエッセイでは、画題にもなっている《存在の鳥》を解説し、それがハイデガーからきていることを詳述している。
母方の実家が養蚕農家だったことで、桑の株の形から取ったY字型モティーフから始まった中村の絵画は、斜行グリッドと呼ばれる幾何学的な作品へ移行し、その斜線がフリーハンドで描かれたようなラフな線に変わって表現主義的な表情を示し、ついで開かれたC型と呼ばれる抽象になり、そしてシリーズ「連差−破房」「破庵」「採桑老」「死を悼みて」に至って、中村一美の絵画が開花する。続いて《鳥》が登場する。「織桑鳥」「存在の鳥」「聖」のシリーズの見事なこと。
2002年に描かれた「連差−破房XI(傾斜精神)」は天地400cm、左右900cmという大きさだ。4m×9mというサイズはその数字以上に見る者を圧倒する。国立新美術館以外では展示する場所も限られるだろう。これを所蔵するのがさすが豊田市美術館だ。
会場の最後に近く企画展示室1Eの部屋は様子が異なっている。「存在の鳥」シリーズ18点の作品が展示されているが、それが掛けられている壁面全体が朱に塗られ、一面に斜線(グリッド)が描かれている。カタログには別刷りが付され、「ウォール・ペインティング」+「存在の鳥」連作18点となっている。部屋全体がひとつの作品という趣向なのだろう。(見てないが)モネの睡蓮の部屋や川村記念美術館のロスコの部屋を思い出す。
昨年、同じ会場で見た野田裕示とともに、野見山暁治の後継者として、これからも楽しみに見てゆきたい。とても良い展覧会だった。
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中村一美展
2014年3月19日(水)−5月19日(月)
10:00−18:00(金曜日20:00まで、4月19日は22:00まで)
火曜日休館、4/19、5/18は無料
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国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2
ハローダイヤル 03-5777-8600
http://www.nact.jp/