『戸籍の謎と丸谷才一』を読む

 ソーントン不破直子『戸籍の謎と丸谷才一』(春風社)を読む。変な題名だ。なぜ「丸谷才一と戸籍の謎」ではないのだろう。読み進めればソーントン不破に日本の戸籍制度への強い違和感があることが分かる。国際結婚をしている経験から、普通の日本人が気づきにくい戸籍制度にまつわる不合理な面に何度も直面してきた。
 丸谷才一にも戸籍に関する謎めいたものがあると著者は書く。次男なのに才一と命名されたこと、小説のなかに繰り返し主人公のあいまいな出自が描かれることなどを分析している。初期作品から経年的に『年の残り』『横しぐれ』『笹まくら』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』『輝く日の宮』『持ち重りのする薔薇の花』等々が、戸籍の面と絡めてていねいに解きほぐされる。『笹まくら』の徴兵忌避者という設定も丸谷の出自と無関係ではないのかもしれない。隠し子というテーマも丸谷の作品の奥を流れている。
 読み終わってみれば、丸谷才一論とするには、戸籍制度への強いこだわりとその追求が違和として残るだろうし、かと言ってテーマの中心は丸谷才一論には間違いない。それで、この不思議な題名になったのだろう。
 実は私は丸谷才一の小説は『女ざかり』しか読んでいない。丸谷を論じるのも丸谷才一論を論じるのも全く適していない。その留保付きで言えば、本書の分析に強く説得された、丸谷の隠れていた一面を教えられたということはなかった。あまり丸谷の小説に魅力を感じていない私に、こんなに魅力的な作品なのだと説得されることもなかった。丸谷才一の戸籍の謎が明かされることはついになかった。そんなことは題名が示しているのだが。
 小さな違和感を二つ。まず『裏声で歌へ君が代』について、

(……)ベッド・シーンなどはどう読んでも陳腐で、このセックス描写で男性読者にちょっとサービスしましょう、と作者がウィンクしているように感じる箇所もある。洪圭樹の大統領就任式にあるような微妙な情感は全くなく、まともな小説愛好家にこんなサービスを考えないでほしいと思わせる。丸谷才一吉行淳之介になる必要は全くないのだ。(pp.229-230)

 「このセックス描写で男性読者にちょっとサービスしましょう」などと書いている。著者は吉行淳之介のことを少しも分かっていないのだろう。
 『女ざかり』について書きながら、著者はこんなことを嘯く。

(……)「寡作の作家」と言われる丸谷才一さんも、圧倒されるように精密な構成と技巧の小説を彗星さながらの長い周期で世に出してくる一方で、夜ごとの星のようにおびただしい数の随筆を書いて、「わたしはこう思う。どんなもんだい」と嘯いている。実は(元)学者の私も、学術書を書くよりずっと楽しいので、こんな本を書いて気分爽快だ。学術論文でこんな独りよがりの、いいかげんなことを書いたら、即「不採用」と決まることは、学会誌の編集委員を務めてきた私自身がよく知っている。(p.258)

 以前読んだ筒井清忠近衛文麿』(岩波現代文庫)を思い出す。戦中の首相を務めた近衛について、政治学者によって精密に書かれた評伝だ。どんな記述に対しても、巻末に置かれた注でその出典が示されている。そのため注の数も568個に上っている。誰も筒井のこの本を「いいかげん」とは言わないだろう。だが、いささか煩わしかったのも事実だ。
 出典が正確に示されて書かれた学術論文が良いもので、随筆風に書かれた評論文が「独りよがりの、いいかげん」なものだというのは、ある種の権威主義だろう。問題なのは形式ではなく内容に決まっている。こんな本を読んで「気分爽快」ではなかった。


戸籍の謎と丸谷才一

戸籍の謎と丸谷才一