川村二郎『感覚の鏡』を読む

 川村二郎『感覚の鏡』(講談社)を読む。副題が「吉行淳之介論」で46年前に出版されたもの。川村は吉行の作品について実に丁寧に細かく分析する。ただ『原色の街』など初期作品を中心としている。3分の1くらいまで進んだところで、これまた初期の「薔薇販売人」が取り上げられる。全12章のうち、6章に至って、性の問題に立ち入ることになる。吉行の作品は性が主要なテーマだというのが大方の見方だろう。吉行の文庫の解説で藤田宣永が、書いていた。

 高校生のとき、彼の短編集を読んだ。それがきっかけで小説を書いてみたいという気持ちになった。かれこれ35年ほど前の話である。当時はプロを目指すなどという発想はまるでなかった。彼のような小説が書けないのならば、せめて主人公みたいな生き方ができればと思うほど憧れた。娼婦との深い付き合いはできなかったけれど、思春期の私の女の付き合いに大きな影響を与えたのは紛れもない事実である。

 大ざっぱに言ってしまえば、吉行作品は、女に対する深い愛情と、埋め尽くせない違和感とを同時に持った男の小説ということができる。

 

 浅薄な感想だ。

 吉行の小説は、『砂の上の植物群』をはじめ、『闇の中の祝祭』『星と月は天の穴』『暗室』『夕暮れまで』など、長編小説が有名でよく売れていたが、短編小説が本領ではなかったか。性についてはさほど重要ではないと思う。私は吉行の小説の主人公が示す「屈折」が好きなのだった。過剰な自意識がなせる屈折した姿勢が好きなのだった。

 川村二郎の吉行論は細部が充実していて丁寧な分析だが、吉行について新しい視点が指摘されたようには思えなかった。