島本理生ほか『私の身体を生きる』を読む

 島本理生ほか『私の身体を生きる』(文藝春秋)を読む。島本をはじめ、村田沙耶香藤野可織西加奈子鈴木涼美金原ひとみ千早茜朝吹真理子、エリイ、能町みね子、李琴峰、山下紘加、鳥飼茜柴崎友香、宇佐美りん、藤原麻里菜の17人の女性作家たちが書いている。編者の名前も前書きも後書きもなく編集のコンセプトが不明だ。しかし読んでいくと、村田沙耶香が編集者から「性をテーマにエッセイを書きませんか?」と言われたとある。若い女性作家たちにそのようなテーマで依頼し『文学界』に連載したもの。

 作家のせいか皆ほとんどあけすけに赤裸々にその体験を披露している。

 村田沙耶香は、自分は性の目覚めが早い子供だったと書く。物心ついたときには、もう、自分で達することを知っていた、と。

 西加奈子は自分の身体にはタトゥーが入っていると言う。初めて入れたのはたしか19歳の時だと。17歳の時、性被害に遭った。タトゥーを左側ばかりに入れたのは「体の右側を傷つけられた」と考えていたからだ。

 鈴木涼美は中学2年の春、初めて電車のなかで痴漢にあった。高校生になり生理ナプキンを剥がしてくるようなえげつない痴漢にも、直接的に援助交際を持ちかけてくるおじさんにもあった。そして、

 高校生というタガが外れると、そんな日常は倍速でスカレートしだす。パパ活なんていう便利な言葉はなかったけれど、キャバクラに勤めているだけで間接的な売春はできたし、もっと具体的な現金が欲しければ、そこで知り合った馴染み客がサインを出してくれるのを待てばよかった。身体を売って現金を受け取り、受け取った現金は、より高く売れる女になるために使い、今度は前回の自分より、あるいは私ではない別の誰かより、高いお金で身体を取引する、その繰り返しは若くて短絡的な女には安易な自己承認も与えてくれた。身体を売る、というのは便宜的な言葉であって、幸運なことに何度お金を受け取っても、男が射精した後、身体は私の手元に残る。

(中略)

 夜の街では、風俗やAVにハマりやすい女というのは、男から見て50点から70点くらいの風貌だと誰かが言っていた。売る気がないのに男たちが勝手にその美貌にお金を払うような美しい女と、売ろうと思ってもそう簡単に買い手が見つからない醜い女の狭間にいる、ボヤッとしていればお金なんて支払われないけど、積極的に商品棚に陳列すれば売ることができる大量の普通の女は、自分から売っておいて、男が払ったお金によって美しい女になった気分になるからだ・

 

金原ひとみはさすが朝の彼とのセックスを具体的に開陳する。

(……)指先でカリ首をなぞり、左手でTシャツの上から乳首を探り当て爪で擦ると、彼もパンツの上から私の性器を刺激し始める。お腹空いた? 彼は聞きながらアナルまで触り、空いたと答えながら私も睾丸の向こうまで指を滑り込ませる。互いに最小限の動きでパンツを脱ぐと、性器を触り合ったり擦り付け合ったりしたあと側位で入れた。

 

 朝吹真理子は「きことわ」で芥川賞を受賞した作家だが、私にとってはサガンの翻訳者朝吹登美子が大叔母、ボーヴォワールの翻訳家朝吹三吉が祖父だという印象が強い。彼女のエッセイは何が言いたいのかよく分からなかった。

 能町みね子は性転換手術を受けているという。染色体はXYだったと残念がっている。

 李琴峰は台湾出身の芥川賞作家だ。彼女は幼少期から縄や鞭に魅了されていた。20代前半から日本のSM界に出入りしていた。サディストの女性から痛めつけられるのを好むマゾヒストなのだった。ベッドでうつ伏せになり、背中、お尻、太ももに鞭を打ってもらい、歯を食いしばって耐えながら愉しんでいた。

 ほとんど驚くような体験談ばかりだった。そして女性たちがこんなにも性的な体験に悩んでいるのかと、そのことにも驚いた。

 今まで西加奈子乳がん闘病記は読んだものの、他の誰の作品も読んだことはなかった。今後とも誰かの作品を読もうという気にもならなかったが、強いて言えば金原ひとみと李琴峰に少し興味があるくらいか。