池川玲子『ヌードと愛国』(講談社現代新書)を読む。標題から想像する内容とは違い、真面目な研究書だ。それもそのはずで、著者池川は若桑みどりに師事した日本近代女性史が専門の研究者なのだ。
本書は7つの章からなっている。章題とその副題を列挙すると、「デッサン館の秘密/智恵子の"リアルすぎるヌード"伝説」「Yの悲劇/"夢二式美人"はなぜ脱いだのか」「そして海女もいなくなった/日本宣伝映画に仕組まれたヌード」「男には向かない?職業/満洲移民プロパガンダ映画と"乳房"」「ミニスカどころじゃないポリス/占領と婦人警察官ヌード」「智恵子少々/冷戦下の反米民族主義ヌード」「資本の国のアリス/70年代パルコの"手ブラ"ポスター」と遊び心満載だ。池川は東京女子大を卒業し、45歳で川村学園女子大学大学院に進学し、そこで若桑みどりに師事している。また近年は東京女子大学で総合教養科目「女性と表現」を担当し、2年間にわたって、「ヌード像を通じて近現代の日本女性史を考える」という講義を行ってきた。池川は「あとがき」で書く。
受講生にはこの場を借りて一言。授業中に、「この先生、変態や」とツイートするのは、やめなさい。
池川は過剰なほどにサービス精神が旺盛なのだ。
一時期、一世を風靡した夢二の美人画はやがて飽きられてくる。中原淳一や蕗谷虹児などが台頭してきたのだ。夢二は渡米しヌードを描く。また日米関係の悪化から対外宣伝のための映画が企画される。その中で女学生たちの彫刻のモデルとしてヌードの女性が写されている。「西洋文明の粋である芸術が、日本において完全に咀嚼されたことの文化的な勝利宣言に他ならない」。映画『開拓の花嫁』では満洲開拓の若い母親が赤子に授乳している乳房のアップが映し出される。
戦前、日本各地に多く見られた公共彫刻は、軍人など著名な男性の像ばかりだった。戦後、GHQなどの意向もあり、それら愛国系男性像に代わって「平和」のメッセンジャーとして裸の公共彫刻が登壇してくる。そのことについて、池川は書く。
1940年代後半から1950年代初頭。日本は女の裸こそが「美」であり「芸術」であるという、明治以来の決まり文句を掲げて、女のヌードブームに沸いていた。公共彫刻しかり、舞台しかり、文学しかり、映画しかり、もちろん写真しかり。なぜなら、無防備な女の裸は、「平和」の含意によって戦前の好戦的な価値観を覆い隠してくれたからだ。「エロティック」な魅力によって、敗戦に萎え切った男たちを癒してくれるものだったからだ。そしてブームの裏側には、自らを切り売りしながら生き延びようとする多くの女性たちの姿があった。
最後の章「資本の国のアリス」はパルコのポスターを分析している。1975年の石岡瑛子アートディレクターの「裸を見るな。裸になれ」の3部作だ。3枚は同じモデルでフランスの新進女優オーロール・クレマン。1枚は着衣、もう1枚は「手ブラ」、3枚目は上半身裸で乳房を見せている。池川はこのポスターが、「はじめに」で言及した黒田清輝の代表作である3幅対のヌード《智・感・情》に対応していると説く。「黒田は、裸体画を日本に導入した洋画界のリーダーであり、《智・感・情》は、日本においてはじめて、西洋絵画の伝統である寓意擬人像を試みた作品だった。東京藝大でアカデミックな訓練を受け、一時はイタリア留学を考えたという石岡が、その成り立ちを知らなかったはずはない。その上で、石岡は《智・感・情》を自作ポスターの底本としている。