バーネット・ニューマン「アンナの光」売却

 DIC(旧・大日本インキ)は、同社が運営するDIC川村記念美術館が所蔵するバーネット・ニューマン「アンナの光」を、海外企業に103億円で売却したと発表した。バーネット・ニューマンはアメリカ抽象表現主義のトップに位置する画家。「その「アンナの光」はニューマンの最大規模の作品で、左右610cmという大きなもの。同美術館では、マーク・ロスコフランク・ステラと並ぶ美術館の目玉作品だった。
 ニューマンはアメリカ抽象表現主義の作家たちのなかでも最も中心的な画家だという。だが日本での知名度は意外にも高くはなかった。ニューマンの作品は「アンナの光」のように巨大なものが多く、それがわずかの縦線を除いて1色で塗り込められているという単純なものだ。日本での回顧展は3年前のこの川村記念美術館でしか開かれていないし、仄聞ではこの美術館以外には大きな作品は収蔵されていない。そういう意味では、川村記念美術館だけが、日本でニューマンの大作を見られる唯一の場所だったのだ。
 この美術館について、そのHPによれば、1990年に千葉県佐倉市の同社の綜合研究所の敷地内に開館し、収蔵作品は1,000点を超えるという。
 創業家の第2代社長川村勝巳(1905−1999)が初代館長を務め、第3代社長川村茂邦(1928−1999)と併せて、ピカソ、ブラック、カンディンスキー、マレーヴィッチ、コーネルなど20世紀美術を中心にコレクション。特に第3代社長によって、ロスコ、ニューマンの「アンナの光」、ステラの諸作品が集められた。ロスコの部屋では周囲をロスコの大作が囲み、ステラの収集では世界1を誇っている。民間企業がこんなにも次々に現代美術の優品を買い集めることができたのも、経営者が創業家出身で(おそらく)ワンマンだったからだろう。
 しかし、現在は創業家が経営トップを去り、美術品の収集に莫大な投資を続けることができなくなったのではないか。
 20年ほど前、同館の学芸員と話したことがあった。川村記念美術館は、DIC(当時大日本インキ)の一部門で、独立した組織ではなかった。なぜ美術館が企業の一事業部門なのですか? いざというとき収蔵作品を売却することができるためです。まさか、20年後に実際に売却することになるとは想像もできなかった。もし第3代社長が存命なら(まだ85歳のはず)、「アンナの光」は売却しなかったのではないか。


川村記念美術館のバーネット・ニューマン展を見た(2010年9月27日)