マノエル・ド・オリヴェイラ監督「夜顔」を見る。これはルイス・ブニュエル監督「昼顔」の38年後の後日談といった設定。ブニュエルへのオマージュと言える。
「昼顔」は1966年に製作された映画でカトリーヌ・ドヌーヴが主演でヒットした。美しい新婚の人妻セヴリーヌが、しかし冷感症で快感を得ることができない。彼女はマゾヒストで空想の世界でそれにふけっている。それはもちろん愛する夫に話すことはできない。夫の友人ユッソンが彼女に娼館の存在を教え、彼女は「昼顔=ベル・ド・ジュ=昼の美」という源氏名で昼間だけの娼婦になる。客に抱かれたときの快楽を知ったセヴリーヌは愛する夫との間で苦しむ。ある日娼館にユッソンが現れる。ユッソンは夫に昼顔の正体を伝えると言う。
ここからが「夜顔」となる。
38年後コンサートを聴いていたユッソンは会場の一角にセヴリーヌを見つけるが見失ってしまう。再びバーから出てきたセヴリーヌを見つけるがまたも見失う。彼はバーへ入っていきバーテンと話をする。後日ついにセヴリーヌと会食をする約束を取り付けレストランの個室で食事をする。セヴリーヌはあのことを夫に話したか問いただす。彼ははぐらかす。彼女が怒って部屋を出て行く。廊下に雄鶏が歩いている。
「夜顔」では大きな事件は起こらない。バーでユッソンがバーテンと話すシーンと、レストランでの2人の食事がこの映画の中心だ。
映画の魅力はいくつかあり、一つはハリウッドの好むスペクタクルだ。もう一つがこの延々と一つシーンを舐めるように描写する方法。ヴィスコンティの「山猫」(3時間のイタリア語の完全版)では丸々1時間が舞踏会の場面だった。それを延々と映していく。そのことの快楽。
「昼顔」のセヴリーヌはカトリーヌ・ドヌーヴが演じたが、「夜顔」ではビュル・オジエが演じている。ユッソンはどちらもミシェル・ピッコリだ。彼はこういう嫌らしい男を演じるとうまいものだ。ゴダールの「軽蔑」でも嫌な映画プロデューサーを演じていた。
オリヴェイラは99歳のポルトガルの監督だ。前々作「永遠の語らい」は衝撃的だった。「夜顔」のラスト近くホテルの廊下を歩いている雄鶏はオリヴェイラからブニュエルへのオマージュなのだ。ブニュエルはしばしば唐突に鶏や山羊など家畜を登場させていた。
ブニュエルは最も好きな監督の一人なのだが、「昼顔」だけは馴染めなかった。普段はもっとシュールな映画を作る監督のはずだったから。