とんぼの本「洲之内徹 絵のある一生」


洲之内徹 絵のある一生 (とんぼの本)
 昨年10月に新潮社からとんぼの本のシリーズで「洲之内徹 絵のある一生」が発行された。これは「芸術新潮」1994年11月号を再編集して単行本にしたものだ。いや再編集が悪いと言っているのではない。取材してから13年経っているからどこか古びていないかと思っただけだ。
 「あの古めかしいビルとエレベーターは銀座の裏通りに健在である。」と紹介された洲之内の現代画廊が入っていた銀録館は13年後の今も変わらない。1階に「開運! なんでも鑑定団」の鑑定士田中大が社長をしている古美術・近代絵画の思文閣東京店が入居したことくらいか。地下のバーTARUもそのままのようだ。
 洲之内徹芸術新潮に「気まぐれ美術館」というタイトルのエッセイを連載していたのは1974年から亡くなる1987年まで14年間だった。それらはまとめられて「気まぐれ美術館」「絵のなかの散歩」「帰りたい風景」「セザンヌの塗り残し」「人魚を見た人」「さらば気まぐれ美術館」の6冊にまとめられた。小林秀雄に絶賛されたり青山二郎にほめられたり、若い頃芥川賞の候補にもなったとのことで文章もうまく、「芸術新潮」の名物エッセイだった。「週刊少年ジャンプ」における「ドラゴンボール」や「週刊朝日」の「街道をゆく」みたいなものだったのじゃないかな。
 ただ20年以上前ということで、取り上げられている作家(画家)たちが古いのは否めない。絵の傾向も抽象絵画は少なかったのではないか。晩年になるとエッセイ中で自身の恋愛体験を赤裸々に語るなど、読者としても少々もたれてくる。70歳くらいでまだ子供を作っているのだ。
 洲之内徹は一時期美術に関係する人間で知らない者はないほどの人だった。最近神奈川県立近代美術館を訪ねた人が、若い学芸員2人に洲之内の名前を出したが2人とも知らなかった、洲之内を知らない学芸員がいるのだと驚いていた。
 一世を風靡した気まぐれ美術館の洲之内徹、ただ顔がちょっと怖いのだ。
 (写真は現代画廊が入っていたビルの現在、2007年暮、ここの3階だった)