志村真幸『未完の天才 南方熊楠』を読む

 志村真幸『未完の天才 南方熊楠』(講談社現代新書)を読む。熊楠は驚くべき才能を多方面に発揮しながら、その仕事のほとんどが未完成に終わった。柳田国男とともに民俗学の基礎を築いたものの、途中で喧嘩別れしてしまった。キノコの新種をいくつも発見していたのに、ほとんど発表していない。英語でも日本語でも多数の論考を書いたが、集大成となるような本はついに出版されずに終わっている。変形菌の研究も途中でやめている。

 熊楠の時代は、まだコピー機のなかった頃だったので資料を徹底的に筆写した。江戸時代に作られた『和漢三才図会』という100巻以上の百科事典を少年のころから数年間かけて半分ほど筆写している。イギリスに渡ってからも大英博物館へ日参し、そこの図書館の文献をひたすら筆写した。そのノートが52冊にもなっている。そして「ネイチャー」へ51篇の論考を発表し、「N & Q」へは324篇の論考を発表している。

 睡眠中の夢についても若い頃から記録をつけていた。それは晩年まで続いていた。

 熊楠は知の巨人と賞賛される。きわめて優れた記憶力を持ち、十数年前にとったノートの内容をそらで思い出せた。研究の守備範囲も、生物学、人類学、民俗学、江戸文芸、環境保護運動、かんきつ類栽培ととても幅広い。蔵書を見ても、漢籍、和本、近代以降の日本書、さらに洋雑誌には英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語などが含まれる。

 しかし、志村は熊楠の膨大なインプットに比べてアウトプットたる論文の発表が極めて少ないことを指摘する。ほとんどの学問が未完に終わっていると。本書を読んで、熊楠は勉強に淫していたのではないかとまで思った。学ぶことそのものが面白くて、それを発表して評価されることを重視しなかったのかと。

 今まで熊楠について書かれた本を読んで抱いていたその偉人像が少し揺らいできた印象だった。他の人が書いた熊楠論を読んで熊楠について改めて考えてみたい。