『谷川俊太郎が聞く 武満徹の素顔』を読む

 谷川俊太郎・聞き手『谷川俊太郎が聞く 武満徹の素顔』(小学館)を読む。武満が亡くなった後、武満の親しかった友人たちや娘の武満真樹など8人に、谷川俊太郎が聞き手となって武満との交友や個人的な思い出などを聞いている。

 その8人とは、小澤征爾高橋悠治坂本龍一湯浅譲二河毛俊作恩地日出夫宇佐美圭司、武満真樹。いずれも面白かったが、娘真樹の話がとても興味深かった。

 

谷川俊太郎  僕は(高橋)悠治の作品をそんなにたくさん聴いているわけじゃないけれども、作曲家としては、武満とはずいぶん違う世界に行ったよね。彼とは違う作曲家として、彼の作曲したものをどんなふうに見てる? 彼自身も少しずつ変化してきているわけだから、たとえばこの時期のは好きだけれども、この辺はあまりいいとは思えないとか。

高橋悠治  そんなに全部を聴いているわけでもないから難しいんだけど、《ノヴェンバー・ステップス》あたりまでは鋭さがあった。それからだんだん甘くなってくる。そして、歌というものにこだわってくる。ところが彼の歌というのは、ジェセフィン・ベーカーとか、50年代のアメリカのハーモニーがついたポピュラー・ソングとかが原点なんだと思う。僕はそういうものはあんまり好きではなかった。彼の歌で好きな部分は、軽いことだね。だから、《〇と△の歌》というのがあるけど、ああいうのがいいと思うんだよ、すごく軽くて。それが、例えばオーケストラの曲なんか書いているときに、どうしてああいうものを生かせなかったのかなと思う。

 

湯浅譲二 (……)武満はほんとうにオーケストレーションがうまくて、音をよく知っていて、楽器をうまく使ってというのが、教科書の管弦楽法に書いてあるオーケストレーションじゃないんだ。つまり、一つ一つ実証的に、自分が1回ごとに劇伴をやるときに、それぞれ実験しているわけね。

(中略)

湯浅  僕は武満にも頼まれて、武満徹批判の文章を書いてくれと言われたから、しょうがなくて書いたわけですけど、そこにも書いているんだけど、彼はいろんな顔というか、側面を同時に持っていて、自分でわかっているのか、自分でもわからないのか、今でも疑問なんだけれども、どっちがほんとうの自分かというのがわからなくなっているのか、わかってやっているのかというところがあるんだよね。

(中略)

湯浅  武満も1970年の末ぐらいから、自分の技法というのは確立しちゃっているでしょう。そのころのオーケストレーションというのは、舌を巻くほど上手なんだよね。これはとてもかなわないというぐらいの、すばらしいオーケストレーション。僕は専門家として見てもそう思います。ただ、音楽の形にまだメシアン的なものとかがいっぱい残っていて、武満的な部分と、武満がメシアンに影響を受けている部分というのは、必ずしも同じではないんだよね。だから、武満的なものを伸ばせば、もうちょっと違うものが僕はできると思うんだけど。どうしてそういうものをやらないのかな、と思ったりしていたこともある。

 

 この武満批判というのが雑誌「ポリフォーン」に掲載された「批判的武満論」だという。探して読んでみよう。

 

 宇佐美圭司は1970年の大阪万博の鉄鋼館で武満と組んで仕事をした。

宇佐美  (……)万博には批判もあったけど国家に取り込まれたというか、僕たちはそういう経験がなかったからね。だから、国家や企業に取り込まれたからって、国からおまえ、こうしろと言われたんじゃまったくなかった。あのとき初めて日本の国や企業がアートにお金を使ったのではなかったでしょうか。ところが、実現段階になって、やれる人とやれない人に分かれてきたんだ。結局、やれない人、やらない人がやる人たちを糾弾するというほんとに寂しい争いになっちゃったんだよね。

谷川  そうだね、僕が詩を書き始めた50年代の半ばぐらいの頃は、大新聞に書いただけでも攻撃された、おまえは何だと。でも、万博はほんとうに一篇だけでこりごりという感じだね。

宇佐美  ああ、そう、こりごりだったな。

 

 今また大阪で万博が計画されている。二人の「こりごり」が忘れられていなければ良いんだが。

 

谷川  何か武満がすごい怒ったということはあった?

武満真樹  『波の盆』の音楽を書いていたとき、それを初めてうちで聴いたのね。そのときに「ベルトリッチの『一九〇〇年』のパクリ?」とか言っちゃったの。そうしたらすごく怒って。

谷川  怒った?

武満  うん、怒った。でもそれは絶対無意識のうちにあったと思う。『一九〇〇年』が大好きで、その前にさんざん聴いていたの。私も聴いていたし、それでやっぱり影響を受けちゃったんだよね。パクろうと思ったのとは違うけど……。

(中略)

武満  それと怒られたのは、ドビュッシーが出てくる曲で、《夢の引用》だったか、ロンドンで初演のときに、リハーサルを聴いていて、私はしばらく徹さんの曲はあまり聴いてないころだったから、「ああ、パパもすごいきれいな曲を書けるようになったね」ってママにこそこそと言ったら、細川俊夫さんが隣で聴いていて、「真樹さん、今のところは全部ドビュッシーの引用ですから」って言ったの(笑)。