『新編 齋藤怘詩集』を読む

 『新編 齋藤怘詩集』(土曜美術社出版販売)を読む。齋藤は1924年大正13年朝鮮半島のソウル生まれ、終戦の年までほぼ朝鮮半島で成長する。敗戦後、熊本の天草に引揚げる。のちに日本現代詩人会理事長、現代詩人賞選考委員、H氏賞選考委員長を務める。

 齋藤は多く子供時代の朝鮮での遊びや生活などを取り上げて詠う。韓国の詩人金光林が齋藤について語る。

 

 韓国の現代詩人達が、殆ど目を向けないでいる我々の伝統風俗とか消えてゆく民族遊びを現代によみがえらせてくれた作品があるということは、多幸なことに属する。それも一、二篇ではなくゆうに一巻の詩集になるくらいの数で残っている事実に、私は驚きと感謝の気持ちを禁じ得ない。

 

 私は生前の齋藤と面識があった。齋藤の勤務する日本植物防疫協会の50年史だったかを刊行するに際して、私が勤める会社に編集の依頼があった。そのとき齋藤は総務部長だったかで刊行委員長を兼ねていた。数カ月かけて50年史が完成し打ち上げで酒席も囲んだ。途中雑談で斎藤が詩人であることを知った。それで興味をもって詩集などを調べてみた。平凡社の発行する『ポケット日本の名詩』に齋藤の詩2編が掲載されていた。その「着せかえ人形」を下に引く。

 

着せかえ人形

 

 

雨の日の暮は暗く

部屋のすみ襖のかげの

座ぶとんに寝かせてならぶ

首だけの人形の顔

 

姫は口もとに紅をはき

役者の顔のくまどりに

千代紙のころもを着せる

鋏の音と姉のためいき

 

着せかえた人形たちの首を抜き

すげかえ遊ぶたそがれどき

虚構に生きる人の世の

はなやぎは一瞬にして地におちる

 

白装束に着せかえて

経帷子に箸の杖

紙箱の棺に寝かせて掌を合わす

とむらいさえも遊びであった

 

 

 これを読んで、これは現代詩ではなくせいぜい近代詩だと思った。戦後詩とは思えなかった。同時代のわずか年上に「荒地」グループが活躍していたのに。それで、私は現代詩愛好家だとカミングアップするのを止めたのだった。

 齋藤が「詩と時間」というエッセイで書いている。

 

 たとえば、一つの松葉ぼたんの花に私がひかれるとする。何故ひかれるのか私ははじめわからない。心の片隅に在る松葉ぼたんの花が、現実に在る松葉ぼたんの花に重なって来る。その時、現実に咲いている松葉ぼたんの花が、はっきりと意味を持って私にせまって来る。その花は幼い頃に私の家の庭に咲いていた花で、それが或る人の死んだ日の思い出につながっているのを私は思い出す。

 現在私が見ている松葉ぼたんの花は、単なる赤い松葉ぼたんの花ではなく、私の幼い心に人間の死を教えたものとして不動の姿をもって私の心によみがえって来る。そのとき私にはひとつの詩が生れ、松葉ぼたんの花を書いている現在に、私に死を教えた松葉ぼたんの過去の花が重なって来る。過去が現在とダブって来る。これを私は時間の重層性と呼び、詩の中に流れる重要な時間と考えている。

 

 これが齋藤の詩の方法論のようだ。現在の現象を過去の重要な事件と重ねて詩作する。だから齋藤には過去の記憶、思い出にこだわる詩が多い。齋藤のこだわる過去は子どものころが多く、すると必然戦前の日本の植民地時代の朝鮮のことになる。齋藤は当時植民地朝鮮を支配する日本の側に立っていた。だから詩はそれを悔いるものが多くなる。韓国の詩人たちに齋藤が評価される。そのことは私も多とするものである。

 しかし、斎藤の詩に戦後日本の現実はほとんど詠われていない。戦後齋藤はどこで何をしていたのか、それが見えてこない。詩の修辞としても格別のものが見当たらない。晩年の輝かしい肩書が嘘のようだ。

 なお、『齋藤怘詩集』はamazonにも土曜美術社のホームページにも掲載されていない。おそらく自費出版で、土曜美術社は在庫の管理をしていないのだろう。同じく土曜美術社から出版した『ワシオトシヒコ詩集』は、半分が著者買取だったとワシオさんが言っていた。

 

f:id:mmpolo:20220114114636j:plain