飯島耕一が10月14日に亡くなった。83歳だった。飯島耕一はシュールレアリスムの詩人。1953年、詩集『他人の空』を書肆ユリイカから発行する。その後何冊もの詩集を出すが、私にとって第一詩集の中の「他人の空」が忘れられない。
他人の空
鳥たちが帰って来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上ったり下ったりした。
それは途方に暮れているように見えた。
空は石を食ったように頭をかかえている。
物思いにふけっている。
もう流れ出すこともなかったので、
血は空に
他人のようにめぐっている。
終戦の年、飯島は15歳だった。すると、これは復員兵としての体験を歌ったものではなかった。シュールレアリスム詩人シュペルヴィエルを研究して書かれたのか。50年近く前に初めて読んでから、強く印象に残っている詩の一つだった。
そう言えば、支路遺耕治が責任編集していた詩誌の名前が『他人の街』で発行所が他人の街社だった。支路遺も飯島耕一のこの詩が好きだったのだろう。支路遺耕治の本名は白井ではないだろうか。名前は本名か、それとも飯島にあやかったのか。私が持っている『他人の街』は第14号で、これが「休刊号」となっている。1970年11月5日発行。詩作品は、支路遺のほか、恵口烝明の「祝祭日を詛いながら」が掲載されている。評論では鈴木志郎康の名前も見える。定価が250円だった。
・恵口烝明という詩人がいた(2007年2月19日)
※追記:訂正
飯島耕一の詩集と詩は「他人の空」でした。私の混乱と勘違いです。
支路遺耕治は「他人の街」です。ごっちゃにしていました。訂正します。