吉増剛造『我が詩的自伝』(講談社現代新書)を読む。詩人吉増剛造が編集者相手に語った自伝を書き起こしたもの。とは言っても話し言葉は重複があるから、起こした原稿を相当編集はされているのだろう。ただ基本は語った言葉を原稿にしているような体裁を採っている。
現代詩人吉増剛造。私の本棚を探せば「現代詩文庫」の『吉増剛造詩集』があった。45年前、日産自動車のプレス工をしていたときに、相武台前の本屋で買ったものだ。相武台前は小田急線の小さな駅で、当時はそんな小さな町の小さな本屋にも「現代詩文庫」が並んでいたのだ。隔世の感がある。
でも好きな詩人ではなかった。その詩集に傍線を引いた部分が1か所だけあった。
海から帰って
ぼくは日記に書いた
花
ハイミナール
ハイミナールとは当時もっとも普通に使われていた睡眠薬。わりあい簡単に入手できたように思う。みな睡眠のためではなく、酔うために(ラリるために)使っていた。私も何箱も買ったことを思い出す。
吉増の処女詩集『出発』の最初の詩「出発」の冒頭数行を写す。
ジーナ・ロロブリジダと結婚する夢は消えた
彼女はインポをきらうだろう
乾いた空
緑の海に
丸太を浮べて
G・Iブルースをうたうおとこ
ショーペンハウエルの黄色いたんぼ
に一休宗純の孤独の影をみるおとこ
ジッタカジッタカ鳴っている東京のゴミ箱よ
赤と白の玉の中に財布を見る緑の服の男たちよ
ピアノピアノピアノピアノ
雑草のように巨大な人間の音響よ
雑草のように微小な人間の姿よ(後略)
詩はこのあと94行も続く。吉増は長編詩が多い。それはアレン・ギンズバーグ的ビートニクの詩に近い。一般に長編詩は詩の1行1行にまあ比較的十分な推敲がなされないきらいがあるのではないか。吉増の詩もその傾向を帯びているように思う。
本書『我が詩的自伝』は語りのものだからとても軽く、1日で読み終えてしまった。その結果吉増のことがずいぶん理解できたように思う。そういう意味では有益な読書だった。吉増がぐっと身近に感じられるようになった。
では吉増の詩が好きになったかといえば、相変わらずあまり興味をそそられないというのが本音のところだ。詩人と読者の体質の違いかもしれない。昨年吉増は日本芸術院賞と恩賜賞を受賞している。来月からは東京国立近代美術館で「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」が始まるという。さて、何を展示するのだろう。
- 作者: 吉増剛造
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/04/13
- メディア: 新書
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