泣き女と魂呼ばい

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  畑中章宏がエッセイ「わざとらしさ」で泣き女(なきめ)と魂呼(たまよ)ばいについて書いている(『図書』2021年5月号)。

 

 日本の民俗に、野辺送りや埋葬など、葬送習俗の中で儀礼的に号泣する「泣き女」、あるいは「ナキオンナ」という役割をもつ人がいた。職業的に泣く女性を葬儀に雇う習俗は朝鮮・中国など東アジアにあり、啼泣儀礼と呼ばれ、日本でも記紀に「哭女(なきめ)」の役目が出てくる。呪術的な直接行為として、号泣することで荒ぶる魂が鎮まることを意図したものでる。死者の鎮魂を目的としたものである。(中略)

 泣き女に対して、死の直後に、死者の名前を儀礼的に大声で叫ぶことにより、肉体から離れてしまった魂を呼び戻し、死者の再生を促す「魂呼ばい」の習俗もある。魂を呼ぶ際には、枕元で叫ぶほか、屋根などの高いところへ登ったり、山や海、井戸の底に向かって呼んだりするところもある。(後略)

  

 祖父が亡くなったのはもう54年も前になる。私が高校3年の夏休みだった。臨終の祖父の枕元に親戚が多く集まり、もう息を引き取るといった時だったろうか、叔母か誰かが私に祖父の名前を大きな声で呼べ、生き返るからと指示した。そんな迷信をと内心思ったので、どこかぎこちなくそれでも大声でおじいちゃんと呼んだのを覚えている。あれはこうした習俗だったのか。

 母が亡くなったのは11年前になる。長く施設で療養していたが、最後の何年かはもう意識が混濁していた。一番最後の会話は、お袋、俺が誰か分る? との問いかけに、戦争で死んだ母の兄の名前を言った。

 施設からもう長くはないとの連絡を受けて、家族と交代で病室に付き添った。病室へ着いたとき看護士さんが呼びかけてみるよう言われた。もう毎度反応がなかったけど、お袋って何度か呼びかけた。瞑ったままの瞼の下で眼が動いたような気がした。看護士さんが、声は最後まで覚えているものだからと言われた。その2,3時間あとに、看護士さんが、あら、頬の血色が良くなっているわねと教えてくれた。

 母はその翌々日に亡くなった。看護士さんが、息子さんの声を聞いて安心したのねと言った。魂呼ばいの習俗も根拠のないものではないのかもしれない。