新潮社の「とんぼの本」シリーズに『信州かくれ里 伊那谷を行く』という本があり、そこに「大平峠」という項目がある。大平峠は長野県の飯田市と木曽を結ぶ大平街道の途中にあり、そこに大平集落があった。それについて、
なまこ壁のある大きな土蔵、太さ40センチもある欅の大黒柱、広い土間、こんな空家がずらりと並ぶ集落である。(……)かつては人馬の往来で賑わった村も大正12年、伊那鉄道が飯田まで開通すると、峠の道も衰えてその使命を終えたという。200年の歴史のある大平も農村の過疎化には勝てず、遂に昭和45年11月限りで集団離村となって消えた。
その住民のいなくなった「過疎の村」大平集落に、山本弘と友人たちがスケッチに出かけたことがあった。山本に2点の「過疎の村」と題した作品がある。油彩F20号(60.6cm×72.7cm)と油彩F10号(53.0cm×45.5cm)だが、10号の制作年は1978年となっている。20号の方には制作年の記載がないが、おそらく同時に描かれたものだろう。
住民が村を捨てて無人の荒涼とした風景が描かれている。いつもの電信柱が象徴的に描き込まれていて、人家の痕跡が示唆されている。おそらく真夏に訪問したのだろう、大きな太陽がぎらぎらと輝いている。
わずかに引かれた斜線が平坦ではない山道を示している。山本の優れた造形力が見られる。山本さん、誰もそのことを理解しなかったけれど、あなたは偉かった。誰の承認も必要とすることなく、あなたは一人で黙々と描き続けていんだ。