「この土地は売り物ではありません」

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 東京渋谷区松濤に「この土地は売り物ではありません」と看板がでている割合広い駐車場(間口12m、奥行25m)がある。こんな高級市街地なのにもう何年も駐車場のままだ。なぜだろう。「本駐車場の所有者は、本駐車場を売却処分する意思はありません」と続けている。

 以下は私の推理だ。もう20年ほど前に私はこの場所を撮影していた。東急本店に続く広い通りに面して、門の中が樹木で覆われていたからだ。こんな一等地に廃墟があると驚いた。門柱に壊れかけた表札が残っていた。その名前「神道寛次」で検索すると、「20世紀日本人名事典の解説」に次のようにあった。

 

大正・昭和期の弁護士,社会運動家

生年 明治29(1896)年11月20日

没年 昭和46(1971)年2月17日

出生地 愛知県

学歴〔年〕小卒

経歴 布施辰次法律事務所で手伝いながら大正11年独学で弁護士試験に合格。12年の亀戸事件で布施弁護士らと救援活動。13年兵役を終えて弁護士となり自由法曹団に参加、福田雅太郎大将狙撃事件、京都学連事件などの弁護活動を行う。3.15事件、4.16事件の弁護に当たった日本労農弁護士団の他の弁護士と共に、13年治安維持法違反で検挙された。戦後20年自由法曹団再建に加わり、三鷹事件松川事件の弁護に当たった。この間、3年の第1回普選に労働農民党から立候補、4年新労農党の結成に参加。戦後は日本共産党から数回衆院選に立候補した。

 

  これで見ると1971年に亡くなっている。おそらくそれから無住になって、30年間で写真のような廃墟を呈したのに違いない。敷地いっぱいに樹木が繁茂してしまったのだ。なるほど30年も経てばこうなるのかもしれない。30年間も手つかずのままにされていたと言うことは、相続に問題があったのだろう。その後更地にまでして駐車場を作ったが、建物を建てるまでには相続問題が解決していないと推測できるだろう「本駐車場の所有者は、本駐車場を売却処分する意思はありません」とあるが、売却処分する意思がないのではなく、できないのではないか。渋谷区立松濤美術館に敷地の一部を接している条件の良い土地だ。何とも勿体ない話だ。