安丸良夫『現代日本思想論』を読む

 安丸良夫現代日本思想論』(岩波現代文庫)を読む。とても充実した読書だった。安丸を読むのは多分初めてだ。カバーの解説に、

民衆思想史の立場から「近代」の意味を問い続けてきた著者が、眼を現代に転じ、1970年代以降の思想状況の批判的読解に挑む。戦後社会を形作った学問・思想の諸潮流を大胆に整理し明快な見取り図を描くとともに、丸山眞男の思想史学、20世紀日本の経験、歴史学の可能性を論じて、日本のこれからの思想的課題を見通す。

 この解説が本書の的確な紹介になっている。なるほど、「民衆思想史の立場」から発言していた著者だから、第2章は民衆、大衆、国民、市民、庶民、人民、常民などの用語にこだわり、「実態的に似たような存在を念頭におきながらも、用語の選びかたのなかに記述者の立場と戦略が表現されている」と書く。それらの用語例とともに、大塚久雄川島武宜柳田国男きだみのる色川大吉吉本隆明鶴見俊輔松下圭一日高六郎村上泰亮山崎正和石牟礼道子森崎和江らが、手際よく紹介される。
 第3章は天皇制批判の展開と題され、戦前の講座派、丸山眞男と丸山学派の石田雄、藤田省三、神島二郎、そして戦後歴史学の立場から橋川文三筒井清忠菅孝行吉本隆明網野善彦などが簡潔に紹介される。菅孝行が意外に高い評価なのに驚いたが、安丸には菅との共著があるのだった。若い頃訪ねてきた共産党関係の知人が私の書棚に菅孝行の本が数冊並んでいるのを見て、私この人嫌いよと言ったことを思い出した。
 第5章が「丸山政治学と思惟様式論」で、丸山眞男が批判される。本書中の圧巻ではないか。そして最も難解な部分でもあった。とくに後期丸山の「古層」論(「原型」論)が批判の対象になる。

 私にとって思想史研究とは、人びとの経験に到るためのひとつの手だてである。人びとの生の経験を捉えるディシプリンがいろいろあるなかで、思想史研究は、人間の経験をその人間にとっての「意味の相互連関」のなかで捉えるところに、固有の存在意義を見出すものである。「意味」というものは、「ある集団のために事象を社会化する役割を担っている」ものなのだから、私たちはこうした「意味」を介して当該社会における人びとの経験とは本当は何だったのだろうかと問うことが可能になる(引用はマンハイム)。そしてこの「意味」には、当の人びととっては自明的で無自覚のうちに前提されてしまっていたり、下意識的次元なども含まれているために、異なった時代に生きる歴史家である私たちは、そこに対象とする時代や社会を理解するための恰好の手がかりを見出すことができるのである。こうした「意味」の世界のさらに基底部に、「原型」「古層」「執拗低音」のようなものが存在するか否かは、歴史家としては明言できないこと、あるいは明言してはならないことだと私は思う。その点で、記紀神話を主な素材にして弥生時代の農耕共同体の分化を捉えてそれを「原型」として措定し、さらにそれがその後の日本社会を規定しつづけたという『講義録』の丸山には、危ういものを感じてしまう。(後略)

 丸山批判は、以前子安宣邦を読んだだけだが、安丸の批判は十分傾聴に値するもののように思われる。今まで読んでこなかった安丸の著作を読んでみよう。