橋爪大三郎『丸山眞男の憂鬱』を読む

 橋爪大三郎丸山眞男の憂鬱』(講談社選書メチエ)を読む。これが刺激的でとても面白かった。題名としては『丸山眞男山本七平』の案も考えたという通り、山本七平の書と対比して丸山を批判している。丸山の主著『日本政治思想史研究』は戦後東京大学出版会から出版されたが、個々の論文は戦前雑誌に発表されたものだ。
 『日本政治思想史研究』で丸山は江戸時代の政治思想として荻生徂徠を重視する。朱子学は四書(『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』)を、古義学を立てた伊藤仁斎は『論語』と『孟子』を重視する。徂徠は堯舜と三代(夏殷周の3つの王朝)の聖人に道の規範を見ている。朱子学の道は天からきているという考えを否定して、道は聖人が作ったとする。夏殷周の時代に聖人が立って、政治制度を制定した。統治者の意思的な行為、すなわち作為だとした。道を天=自然から聖人=人へ取り戻した。丸山は徂徠のこの思想が近代のはじめだとした。
 戦後、丸山の思想は日本の政治学を席巻した。丸山眞男と丸山学派の石田雄、藤田省三、神島二郎らが東大政治学の主流を占めた。丸山学派に学んだ者たちが官僚となり日本の政治を指導した、
橋爪は丸山が十分論じなかった山崎闇斎を重視する。山崎闇斎と闇斎学派=崎門(きもん)学派は特異な学派で、独自の主張を持っていた。丸山は闇斎を十分に理解しなかったが、山本七平が『現人神の創作者たち』(ちくま文庫)で闇斎を的確に評価している。闇斎は朱子学に立脚しているが、朱子学の基本テーゼである「湯武放伐論」を否定する。湯武放伐は、湯王と武王がそれぞれ暴君に対するクーデターを起こして武力で政権を奪った故事をいう。孟子朱子も湯武放伐を肯定する。山崎闇斎とその弟子浅見絅斎はこれを否定する。日本の儒学の中で闇斎学派だけがこれを否定した。闇斎学派はまた神道朱子学化し、歴史化した。朱子学化した神道では身分制度が消える。すべての人々が「われわれ日本人」という自覚を持つことができるようになり、日本のナショナリズムを生み出した。
 丸山は近代とはなにかを分かっていなかった。橋爪が書いている。

 丸山眞男が、荻生徂徠に過剰に注目し、そこから「作為の契機」を取り出したこと、そして、それ以外の要素をプレ近代の世界から見つけなかったことは、そうした近代主義者のふるまいの一例である。丸山の試みは、半分正しい。明治になって近代と接触してからではなく、江戸時代の、近代と接触する以前の思想のなかから、近代の要素をみつけようとしているから。そして半分正しくない。明治になってから近代と理解されたものに類似する断片的な要素を、江戸時代の、近代と接触する以前の思想のなかからみつけようとしているだけだから。

 山本七平山崎闇斎の弟子浅見絅斎から幕末の尊王論が生まれ、明治維新の原動力になるのだと示唆している。さらに橋爪は続けて、「闇斎学派〜宣長国学〜水戸学〜尊皇思想、が明治近代化を導いた主軸となる思想であるのは、明らかだと思う」と書いている。
 とても刺激的な本だった。日本政治思想史の巨大な帝王に十分打ち勝っていると思う。初めて山本七平を読んでみようと思ったのだった。


丸山眞男の憂鬱 (講談社選書メチエ)

丸山眞男の憂鬱 (講談社選書メチエ)

現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫)

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現人神の創作者たち〈下〉 (ちくま文庫)

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日本政治思想史研究

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