『丸山眞男と田中角栄』を読む

 佐高信早野透丸山眞男田中角栄』(集英社新書)を読む。丸山は先日読んだ安丸良夫の『日本現代思想論』で批判されていたが、それは後期丸山の思想に対する批判であって、丸山が戦後の日本政治思想史の巨峰であることに何ら疑いはない。ところが本書はその丸山眞男金権政治田中角栄を並べて論じている。それも田中に批判的ではなく、「戦後の上半身を作ったのは丸山眞男、下半身を作ったのは田中角栄だった」と言っている。「丸山眞男田中角栄は、実は同じ側にいる人間じゃないか」とまで言っているのだ。田中を岸信介と対立する政治家としている。前後するが本書は佐高と早野の対談でできあがっている。岸は吉田茂と対立し、その岸の系譜は中曽根康弘安倍晋三に繋がっているとする。
 一般に、田中は選挙区の新潟の僻地に莫大な予算を付けてトンネルを通したり、道路を作ったりしたことが批判されている。著者たちはそのことを「角栄は、少数派の立場から行動し続けた」と評価する。都市であれ地方であれ、そこに暮らす人の生活を良くすることが大事なことだと。地方を活性化して人口の都会への集中を改めなければいけない。そのため地方に産業を起こすこと、工場を誘致すること。角栄は「僻地の人間も平等であるべきだとした。地元農民が戦前から20年もかかってトンネルを掘っていたところを、それは公的資金でやるべきだ、そのためには10億円かかったって、その僻地に100人しかいなくても、これは国家の仕事なんだと、国から予算をもぎ取ってきた」。
 少し田中角栄を見直した。同時に丸山眞男を少々神格化しすぎているようにも感じられた。早野透は『田中角栄』(中公新書)という伝記を書いている。今度、それを読んで見よう。