瀬戸川猛資『夢想の研究』を再読した

 瀬戸川猛資『夢想の研究』(創元ライブラリ)を再読した。これは先に紹介した瀬戸川の『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)の姉妹書。「睡魔」がミステリを扱っていたのに、本書は副題が「活字と映像の想像力」というように、映画とミステリを「クロスオーバー」させて論じている。
 本書を読んで、また読みたい本と見たい映画が増えてしまった。
 さて、ロシア革命のころ、スタニスラフスキイという演出家が現れ、画期的な「スタニスラフスキイ・システム」という、自然でリアルな演出法を確立した。その演出法がアメリカの映画界にも伝わり、ニューヨークに「アクターズ・スタジオ」が作られた。ハリウッド・スターの多くがその演出法の影響下にあることは聞いていた。しかし、それに反対する俳優たちもいることを本書で教わった。ローレンス・オリヴィエ、ラルフ・リチャードスン、ジョン・ギールガッド、アレックス・ギネスなど、イギリスの舞台出身の俳優たちがそうだという。なるほど、舞台は本来自然な演技ではなかった。瀬戸川は、その極端なのがアメリカの俳優ヴィンセント・プライスだという。プライス主演の怪作映画が『血の収穫』(『虐殺のカーテンコール』)というイギリス映画。その演技は、1.すべて見得を切っている、2.大げさでクサイ、3.バカみたいでもある、と総括されている。だから劇場公開もされず、ビデオも未発売、やっとテレビの深夜劇場で放映されただけだった。
 瀬戸川は、監督がこの映画の心を理解していないので、ケッ作とまではいっていないという。だが、プライスはその後「八月の鯨」で主演男優をしているとのこと。これなら見てみたい。
 また瀬戸川は、『愛と野望のナイル』というヒットしなかった映画を高く評価する。これはエジプトを流れるナイル川の源流を探険する物語だ。

 ナイル水源の発見は歴史的な大事件なのである。アラン・ムーアヘッドの『白ナイル』は、次のような文章ではじまっている。

 現代の秘境、たとえばヒマラヤの高峰や、南極大陸や、あるいは月の裏面さえも、ナイル河の水源の秘密ほどは人の心をかきたてはしなかった。少なくとも二千年にわたって、この問題は議論され、未解決のままであった。エジプトから河を遡航したどの探検隊も、むなしく帰ってきた。すなわち19世紀の中頃までは、この問題は、ハリー・ジョンストンの言葉をかりれば、「アメリカ大陸の発見以来、地球上の最大の秘密となった」のである。(篠田一士訳)

 イギリスの探検家リチャード・バートンと若い探検家ジョン・スピークがナイルの水源を求める探険に出る。ナイル川をさかのぼる方法は多くの探検家が失敗しているので、二人は東アフリカのザンジバルから内陸部に向かって出発する。そして苦労の末、彼らはタンガニーカ湖を発見する。バートンはこれがナイルの水源だと考えたが、スピークは一人で北にあると伝えられている巨大な湖を探険に行く。そして本当の水源であるヴィクトリア湖を発見する。
 二人はイギリスへ帰り、それぞれ水源がタンガニーカ湖でありヴィクトリア湖であることを主張する。その討論会の前日スピークが銃の暴発で死亡する。後日、真の水源がスピークの主張したヴィクトリア湖であることが判明し、バートンは潔く探険の世界から身を引いて、文学の世界へのめりこんでいった。そのバートンの業績が『バートン版千夜一夜物語』だった。何と!
 つぎに瀬戸川は、デヴィッド・リーン監督の映画『インドへの道』の映画評で、ある映画評論家が「いま、なぜインドなのか?」と皮肉っぽく評したのを読んで、「わたしは雑誌のそのページを開いたまま、しばし茫然としたのである」と書く。

 デヴィッド・リーンが、きわめて文学的な体質を持った映画監督であることは、普通にその作品を観ていれば気がつくはずである。彼の初期の代表作「大いなる遺産」('46)と「オリヴァ・ツイスト」('48)はともにチャールズ・ディケンズの名作の映画化である。ラフマニノフのピアノ協奏曲を大流行させた名品「逢びき」('46)はノエル・カワードの舞台劇の映画化だが、全編が女主人公のモノローグで運ばれており、これはナラタージュ形式による一種の心理小説的作品と見ることが出来る。(中略)後期の大作「ドクトル・ジバゴ」('65)は、ソ連の国家的圧力によりノーベル文学賞を辞退せざるを得なかったボリス・パステルナークの大河小説の映画化である。
 このような作品経歴を持つ映画監督が、『ハワーズ・エンド』と並ぶE. M.フォースターの代表作『インドへの道』(1924)の映画化を若い頃から夢み、自分の映画活動のしめくくりにそれに挑んだとしても、なんの不思議もない。『インドへの道』は、植民地主義と人種差別を主題に、イギリス人のアイデンティティを探求した文学作品だからである。

 「インドへの道」も「ドクトル・ジバゴ」も昔見たが、どちらもおもしろい映画だった。
 瀬戸川はまた、試写状をもらって見に行った「リトル・プリンス」なる映画が、サン=テグジュペリの『星の王子さま』ではなく、『小公子』の映画化だと知って、「わたしはこの時もまた愕然とし、試写室の椅子からズリ落ちそうになったのである。/一般常識の欠如。あまりの無知と非常識。わたしの驚きは、主としてこの点に起因している」と書く。さらに、先の映画評論家について、「映画の専門家が映画に関して知らなければ、これは驚く。彼は「いま、なぜインドなのか?」となどと気持ちの悪い問いを発することによって、自分の専門領域の不案内ぶりをもさらけ出しているのだ」とまで批判している。
 さて、「スター・ウォーズ」に対しても、瀬戸川は驚くべきことを指摘する。これに大きな影響を与えたのは、吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作とする稲垣浩監督の同名の映画だという。ヨーダには老子のイメージがあるというのだ。
 本書を読み返すのも14年ぶりだった。それがちっとも古びていない。やはり索引が充実していて34ページもついている。瀬戸川は本書(文庫版)が発行された1999年7月の4カ月前に51歳で亡くなってしまった。


瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』を読み返す(2013年7月2日)



夢想の研究―活字と映像の想像力 (創元ライブラリ)

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