須藤靖のエッセイ「不ケータイという不見識」がおもしろい

 須藤靖が東大出版会のPR誌『UP』12月号に「不ケータイという不見識」と題するエッセイを書いている。これは連載記事「注文(ちゅうぶん)の多い雑文」のその21回目になる。須藤は宇宙論太陽系外惑星の研究者で、しばしば難解な内容も多いのだけれど、今回はやさしいヴァージョンでおもしろかった。
 須藤はいまだにケータイ電話を所有してないとのことで、会議でそのことを言って驚かれた経験をもとに、ケータイを持つことの負の側面を列挙して自己弁護している。その理由を4点挙げている。「気が休まらない」「お金がかかる」「危険なことに巻き込まれる」「社会のモラルが低下する」。それを面白おかしく論証している。
 須藤のこの連載はいつもそうなのだが、注が多い。今回も19もの注が付けられている。その注もおもしろく、それを少し紹介してみる。面白い本文については、ぜひ『UP』12月号を入手して読んでみてほしい。定価105円だし、書店によっては無料で提供してくれることも多い。
 須藤はケータイを持たないためにテレフォンカードを携帯し、必要な場合には公衆電話を利用している。

……今や金券ショップでは500度数のカードがわずか240円。のみならず私が半年近く財布の中に入れて持ち歩いているカードには「勤続30周年記念 皆様に感謝申し上げます 平成6年10月23日(氏名****)」というありがたい文章までもが印刷されている。今までの人生で一度もめぐり合ったこともなく、さらには今後も決して会うことなどもないであろう方の勤続30周年の喜びを、私のようなものにまで分けあたえて頂ける(注10)。この奇蹟とも言うべき偶然の出会いを導いていただけたのもまた不ケータイのおかげである。

 この500度数というのは50度数の誤りだろう。50度数のカードは定価500円なのだ。さて、その(10)の注を見ると、

(10) 知己であるにもかかわらずこのような貴重なテレフォンカードを金券ショップに売らざるを得ない事情に陥った方の良心の呵責に思いを馳せるたび、その方になりかわって私がお祝いをしてあげなくては、という責任を痛感させられるのである。

 とにかく学者にしておくのがもったいないほどユーモラスな人のようだ。もっとも内容によっては歯が立たないほど難しい回もあったけれど。
 この『UP』には人気の高い画家山口晃もマンガ「すゞしろ日記」を連載している。もう93回目で、A5版の小さな雑誌1ページに24コマのマンガを描いている。これもとてもおもしろい。
 さらに本誌には日本美術史が専門の佐藤康宏が「日本美術史不案内」という連載を持っていて、今号は源頼朝像を足利直義像とした米倉迪夫の説に反論してやはり頼朝像だとした興味深い論文も載っている。