毒キノコの恐ろしさ!!!

 毒キノコがこんなにも恐ろしいとは知らなかった。もうマツタケ以外は決して食べないようにしよう。
 渡辺隆次「きのこの絵本」(ちくま文庫)より。

■ドクツルタケ


俗に猛毒御三家といわれるテングタケ科のドクツルタケ、シロタマゴテングタケ、タマゴテングタケのうちの、特にドクツルタケに登場してもらう。ただし、この三種は酷似している。
 ドクツルタケは夏から秋、日本の山中のどこにでも多発する。傘の径が15センチ前後になる大型キノコで、全体は真っ白。柄に綿毛状のささくれがある。シロタマゴにはこのささくれはなく、絹光沢がある。この二種を同じ種とみる学者もいるほどだから、実用的には区別する必要はない。タマゴテングタケは傘が硫黄色、日本には稀である。
 鑑別の急所は三種とも、柄の根もとに球根状のふくらみ、さらに袋状の白いツボがある。柄の上方に襟巻のような膜質の白いツバ、ヒダも白色。以上の三点(白いツボ、ツバ、ヒダ)を揃えたキノコは、絶対に食べないことである。
 ドクツルタケの異名は、「殺しの天使(Destroying Angel)」である。姿が真っ白のうえ形もととのった美しいこのキノコが猛毒とは、一見して誰もがいぶかる。「柄は縦に裂けるし、色も派手じゃないのに」と。味や匂いは特別どうということもなく、一命をとりとめた人の話からは、むしろおいしかったという。シロタマゴテングタケの中毒例はなかなかすごい。小指の先ほどの小さな一本で三人が死んでいる。箸先にひっかかる一かけらで、人間一人を殺すだけの毒成分が含まれる。ドクツルタケの毒成分のひとつ、アマニチンは、200分の1ミリグラムでマウスの致死量である。
 中毒症状は四段階に分かれる。食後6〜24時間に肝臓、腎臓を冒してゆく。その後に激しい嘔吐、下痢、腹痛が一日つづいて、いったんはおさまる。医者も患者も治ったものと思い、退院する場合があるという。だが、翌日になって肝臓、腎臓の完全な破壊。食後3、4日目には、昏睡状態に陥って死ぬ。遺体解剖では、肝臓がスポンジ状になっている例が見られたという。
 以下は、長野県のある医師の記録からの抜粋(筆者要約)である。この医師は1951年頃、たまたまドクツルタケ中毒による2名の死に立ち会ったという、貴重な体験の持主だ。「初秋の雨上がり、A氏は近くの山で大量の雑タケを採取、夕食に”キノコうどん”をつくった。当人が晩酌をつづける横で、妻(60歳)と長男(22歳)の二人だけが食べた、食後6時間でまず妻が、10時間で長男が苦しみを訴え、妻は翌朝(12時間後)、医者の手当ても空しく息絶える。親戚一同、悲しみのうちに葬儀準備をしている傍ら、苦痛を訴えつづけていた長男は、いったん回復する。一同ほっとしたのも束の間、夜になって再び激しい嘔吐。洗面器2杯分の真黒な血へどを吐き続け、余りの苦しさから、畳に爪を立てて這いずり回り、何度も『誰か、オレを助けてくれ!』と絶叫する。妻の葬儀をさておいて、A氏はじめ一同は、全身の凍る思いでただ見守るばかり。明け方、血のりと毛ば立つ畳の上で、長男は母の後を追うように息絶えるーー」。



■ドクササコ


 浜の真砂ほどあるキノコ中毒のなかでも、こと苦痛という点でドクササコにかなうものはない。主なる発生地はタケやササやぶ。ヤブシメジとも異名のつく所以であるが、サクラや杉の混ざる雑木林、コナラ林などにも発生する。キノコの傘は径3〜10センチ、成熟すれば漏斗形になり、赤茶色。ヒダはややクリーム色で柄に長く垂生する。肉質は繊維質で柄は縦に裂けやすい。日持ちがよく、一度発生すればその場に1か月も立っている。味よく匂いも不快な点は少しもない。いかにも食欲をそそられる。したがって、迷信上の誤った鑑定法を鵜呑みにすれば、ぴったり食タケと当てはまる。肉質はまったく違うが、一見チチタケやキチチタケなどにも似る。これらは質が脆いうえ柄は縦に裂けず、傷つければ乳液を分泌することで見分けられる。
 一般的にいって、毒キノコを誤食し徴候があらわれるまでの時間は、通常20分〜数時間後、長くて10時間ほどだといわれる。前ぶれとして嘔吐、下痢、腹痛などの症状があらわれる。これらの場合だと食後の時間経過が短いので、キノコが原因ではないかとすぐに疑うことができる。どんなキノコをどのくらいの量食べたか、おおよその見当もつく。ところがドクササコは、食後数日から1週間もたって症状があらわれてくる。ぼくなど昨日一日の献立を思い出すのも容易ではない。ましてや1週間も前に何を口にしたかなど、母の胎内をくぐり抜けたときのことを思い出せないのと同じくらい彼方にある。
 毒は神経系に作用する末端痛紅毒で、手足のさきが赤くはれ、そこへ焼け火箸か針をキリキリ突き刺すような激痛が襲う。ここまでは残忍な拷問執行官もよく使う常套手段といっていい。ドクササコは、その上をいく。日夜の境もなく耐え難い激痛が、1か月、もしくは2か月近くも続くため、七転八倒、断末魔の地獄絵になる。関節運動、接触などにより、痛み、灼熱感はさらに増強される。それほどでありながら、体温や血圧、その他の一般的所見に異常はない。なす術もなく、はれあがった手足を冷水につけ、それも実に1か月、2か月の長期にわたるため、手足の肉は白くぶよぶよにふやけ、ついには骨が出てくる。そこから黴菌が入り、二次感染で、あるいは衰弱して亡くなる人もあるという。
 ドクササコのなんの怨念がこれほど人間を痛めつけるのか、いまだにその正体もよくは分からない。毒成分の一つと思われるクリチジンが取り出されたというが、この物質の作用も未解明。たとえ塩漬けにしたとしても、毒は消えない。かつてドクササコの中毒は、明治、大正の頃まで、北陸地方の不幸な風土病と考えられていた。まさかキノコが原因とは思いもつかず、神仏にすがるか、対症療法もいまと同じ患部を冷水につけることぐらいが精一杯であった。酷寒の真冬に、手足を冷水につけることにでもなれば、いっそうむごたらしい結果になっていたであろう。
 それにしても数十日間、叫喚地獄、灼熱地獄もかくやと、八大地獄巡りを経て生還した人々は天晴れである。以後、なんであれキノコの姿を見れば、異形の化身と映ったか。それとも、この世のすべては光に包まれ、七色の浄土に変容したかーー。聞いてみたいと、つくづくぼくは思う。


きのこの絵本 (ちくま文庫)

きのこの絵本 (ちくま文庫)