初めて押江千衣子の絵を見たのは1995年、東京京橋のINAXギャラリーだった。大阪でのみ発表していたようだが、中原祐介が東京に連れてきた。彼女の作品を見たときの驚きを忘れない。大きなキャンバスにオイルパステルや油絵の具で植物がみずみずしく描かれていた。色彩がすばらしく、花の絵が伸びやかに描かれている。あとでヨウシュヤマゴボウの花を描いたのだと知った。あの地味な小さな花がこんなに艶やかに大きく表現されるなんてと驚いた。この時作家はまだ26歳だった。
東京での彼女のこの初個展を見た人たちが異口同音にほめ称え、立て続けに個展が開かれた。それも銀座の一流の現代美術の画廊、東京画廊、ギャラリー山口で。そして西村画廊の専属になった。
西村画廊ではたびたび個展が開かれた。美術館での企画展にも何度も取り上げられた。若手では圧倒的な人気だった。絵の値段も瞬く間に上がっていった。2001年のVOCA賞では大賞も与えられた。
しかし、人気と裏腹に絵は徐々に魅力がなくなっていった。菊を描き、ヌードを描き……。あのみずみずしい作風はどこへ行ってしまったのか。若い内に得た人気がこうさせたのか、それとも西村画廊の問題なのか? それは分からない。分かっているのは、もうかつてのみずみずしい絵がどこか遠くへ、4.3光年先のアルファケンタウリあたりへ行ってしまったことだけだ。
右上は押江千衣子「すずなり」