近くの小さな植物園にマムシグサが生育していた。マムシグサは毒草だが、救荒植物でもあると聞いた。飢饉のときに、有毒な芋を水さらしして毒を抜き、でんぷんを取って餅を作って食べたという。四国、特に高知には戦後までこの餅があったと中尾佐助が書いて…
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