鈴木真砂女『鈴木真砂女』を読む

 岩合光昭カレンダー『日本の猫』の5月25日の項に「卯波立つ」とあった。卯波は『広辞苑』によれば、「卯月(陰暦4月)のころに海に立つ波。卯月波。〈季・夏〉。」とある。卯波と言えば、東京銀座の京橋に近い路地にその名前の小料理屋があった。並木通りに面して幸稲荷があって、その横の路地を入ったあたりに古ぼけた小さな木造の建物があり、そこに卯波の看板がかかっていた。卯波は俳人鈴木真砂女が女将を務める小料理屋だった。私は入ったことはなかったが、椅子が10脚ほどの小さな店だったようである。何年か前、幸稲荷あたりが再開発され、卯波の建物も取り壊され、新しいビルが建った。卯波のあったあたりに幸稲荷が移転し、元幸稲荷の場所にニューヨーカーの店がある。

 これを機に鈴木真砂女の句集『鈴木真砂女』(花神社)を読んでみた。真砂女は蛇笏賞を受賞している大俳人だった。本書は最初の句集『生簀籠』全文と、その後の自選725句として『卯波』抄、『夏帯』抄、『夕蛍』抄、『居待月』抄が収められている。その『生簀籠』から、

 

あるときは船より高き卯波かな

羅や人悲します恋をして

満潮の波をたゝまず夕焼す

 

 ついで自選725句から、

 

白桃に人刺すごとく刃を入れて  (『夏帯』抄から)

 

 巻末に丹羽文雄が解説のようなものを寄せている。

 

 私は彼女の俳句が好きだ。生活派、人生派の俳句である。私の文学が人生派、生活派であるせゐもあるだろう。技巧を弄した俳句は好きになれない。かの女が五七五の中に全身を投げ出してゐる烈しさが好きである。(中略)

 かの女の俳句は月や花や雪をよんでゐるのではない。かの女の俳句は、波乱の多いかの女の人生をよんでゐる。俳句の中におのれを投げ出してゐる。俳句の中でおのれをかざるどころか、男のような烈しさでおのれを投げ出してゐる。(後略)

 

 Wikipediaによれば、「22歳で日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚し、一女を出産する。しかし夫が賭博癖の末に蒸発してしまい、実家に戻る。/28歳の時に長姉が急死し、旅館の女将として家を守るために義兄(長姉の夫)と再婚をする。(……)30歳の時に旅館に宿泊した年下で妻帯者の海軍士官と不倫の恋に落ち、出征する彼を追って出奔するという事件を起こす。その後家に帰るも、夫婦関係は冷え切ってしまう」とある。

 恋多く自由奔放な性格だったのだろう。俳句は晩年に至るほど巧みになっていくが、初期の激しい句風のほうが面白かった。丹羽文雄の言う「生活派、人生派の俳句」をあまり評価することができない。生活詠ってつまらないじゃないか。

 2003年に96歳で亡くなった。