宇野千代『青山二郎の話・小林秀雄の話』を読む

 宇野千代青山二郎の話・小林秀雄の話』(中公文庫)を読む。青山、小林と併記されているが、青山が全体の3/4を占め、その中でも「青山二郎の話」が全体の半分を占めている。「青山二郎の話」は宇野が最晩年に雑誌に連載していたもので、おそらく執筆途中、宇野99歳で亡くなって中断した。これのみ単行本になったが、文庫化するのは初めてのようだ。宇野の青山に関する短文11篇と小林に関する9編を併せて1冊に編集していて、中公文庫オリジナルとしている。
 青山二郎は骨董の天性の目利きとしてあちこちで語られている。小説やエッセイも書いているが、身近で接した宇野が最後に書き残しておきたかったという。最初に青山が最後に住んだマンションが紹介される。渋谷区神宮前2の33の12にあるビラ・ビアンカというマンションで6階にある二つの区画を3,300万円で買った。この執筆時(1990年代)の13年前で、今(執筆時)の1億何千万円かに当たるらしい。グーグル・マップで見れば大きなマンションだ。
 なるほど親しく付き合った人でしか分からないことがいろいろ書かれている。宇野は文化功労者にも選ばれ全集なども発行されている有名作家だ。だが、個々の文章はともかく、全体の構成や客観的な記載ができないようなのだ。

 遠い昔の話であるが、睦ちゃんがあんな風になったのには、多少とも、青山さんの影響がある。睦ちゃんを甘やかして、あんな風にさせたのは青山さんだ、と私に言った人があったのを私は思い出した。

 と語られる睦ちゃんが、あんな風になったとはどんな風なのを宇野はこれ以上書いていない。別のエッセイではゆき子ちゃんとも書かれているが同一人物だろう。彼女は大岡昇平の『花影』の主人公のモデルで、多くの男たちと関係して最後は自殺している。宇野はそのことも書かない。おそらく自分が書いていることが全体のどの部分で、読者にとってどこまでが既知のことなどかも自覚していないのだろう。
 以前宇野の『雨の音』(講談社文芸文庫)を読んだとき、

 宇野千代の自伝的要素が強い作品ではあるが、一緒に収録されている短篇などを併せ読めばまるまる私小説ではないことが分かる。おそらく自分の体験してきたことを微妙に変奏して繰り返し語っているようなのだ。どこまでが本当のことなのか、やっと2、3冊読んだだけの私には分からない。
 この「雨の音」でも、時間は過去に戻ったり、また簡単に20年、30年後に飛んだりして、単純な時系列を追って記されているのではない。自由に語っているという印象を受ける。そうか、宇野千代の特徴は自在な語り口なのかもしれない。

 と書いた。また、

奔放な男性遍歴とそれを語る自在な語り口、それが宇野の文学の魅力なのだとしたら、この後も宇野文学をもっともっと知りたいという意欲には結びつかない。

 と書いたことを、今訂正する気もない。
 また、青山二郎から好いものを見ることを教わったと書いて、

……もし、この、好いものだけを見分ける眼の訓練を、自分のものにしたかったら、好いものだけしか、置かないようにすることである。好いものだけ、と言っても、それは値段の高いもののことではない。値段は安くても、形が単純で、色が目立たないもののことである。いつも、こんなものだけを、自分の身の回りに置いて、そうでないものは、見ないようにすることである。好いものだけを見馴れていると、そうでないものは目につかないようになる。これが、趣味のよくなるコツである。

 では、池袋の東京芸術劇場へ行っても、ロビーの天井画を見上げないことが大事なことだろう。これがその普段自分の身の回りに置いてはいけない絵の典型に違いない。

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 「小林秀雄の話」の項は、30ページほどの分量で、さして取り上げるほどのものでもなかった。

 

青山二郎の話・小林秀雄の話 (中公文庫)

青山二郎の話・小林秀雄の話 (中公文庫)