中川右介『グレン・グールド』を読む

 中川右介グレン・グールド』(朝日新書)を読む。24歳で最初のバッハの『ゴルドベルク変奏曲』を録音し、独特の演奏が高い評価を集め一躍有名になった。本書副題に「孤高のピアニスト」とあるように、人気の高いピアニストだったにも関わらず、32歳で突然演奏活動をやめて、以後亡くなるまで20年近く録音のみの発表に終始した。1982年50歳で亡くなる。
 本書を読んでいてたえず不満を感じていた。それは演奏会の詳細な記録が羅列されているのに、それらの演奏に対する評価が書かれていないことだった。どこの都市のどこの会場で何月何日何という指揮者とオーケストラで何を演奏したか、それのみ詳細に記述されている。「あとがき」を読んでその理由がわかった。

……レコード芸術家としてのグールドは聴き尽くされ語り尽くされた、これからはコンサート・ピアニストとしてのグレン・グールドが評価されるようになるはずだ……との確信を持てたので、そこに焦点を当てた本を書いてみようと思いついた。とはいえ、グールドのコンサートでの演奏とセッション録音を聴き比べ、ああだこうだと論じるのは専門家に任せ(この視点で書かれた本としては、すでに青柳いすみこ著『グレン・グールド 未来のピアニスト』(筑摩書房)という面白い本がある)、グールドがいつどこで何を弾いたのか、ひたすらそれを追いかけた。

 なるほど、「グールドがいつどこで何を弾いたのか、ひたすらそれを追いかけた」だけならつまらないはずだ。
 以前、池島充『山口長男−終わりのないかたち』(清流出版)という伝記を読んだことがあった。著者は鹿児島新聞の記者だった人で、山口が鹿児島を訪れるたびに同行して鹿児島を案内したという。これがつまらない本だった。絵描きの伝記なのに、絵に対する評価が全く書かれていないのだ。山口の美術界での位置づけすら触れていない。ピアニストや画家の伝記で演奏や作品に触れていないものはクソだろう(失礼)。
 半年前に同じ中川右介の『山口百恵』(朝日文庫)を読んだ。そこでも記載のほとんどは活字として残っているデータの再編集ばかりだった。著者の主観的な評価や印象は語られていなかった。
 いや無い物ねだりなのだろう。紹介されている青柳いすみこ『グレン・グールド 未来のピアニスト』(筑摩書房)を読むことにしよう。


中川右介『山口百恵』を読む(2012年6月27日)
山口長男の伝記が出版された(2007年9月21日)


山口長男―終わりのないかたち

山口長男―終わりのないかたち