「作家はつぶやく」の吉田哲也に関するテキスト

 先日紹介した佐倉市立美術館の「作家はつぶやく」の吉田哲也に関して、同展を企画された学芸員の黒川公二さんが、本展図録にテキストを書かれている。了承をいただいたので、「吉田哲也」に関する全文を掲載する。

 本展に出品された吉田の作品は針金やトタン板、石膏を使った小さな彫刻である。これらは作家にとって中期以降の仕事にあたる。それ以前は展示空間に数枚のトタン板を運んでハンダで接合し、構成するという大きな作品を制作していたが、1993年の個展の頃からテーブルの上で制作できるものへと移行した。
「程々」と題された、その時の個展に際して吉田が書いた自作への定義に「ズサンなもの、あるいはズサンさを残したもの」という文章がある。より早く、より多く生産するため、高度にシステム化された社会が求める「完璧さ」の対極にあるものが「ズサンさ」である。これは美とは特別なものではなく、普通の人間が営んでいる、失敗や後悔と共にある何気ない日常の中にあるものだという作家の意識をあらわす言葉であって、いい加減さとは違う。
 吉田の中期以降の作品は、針金やトタン板などの素朴かつ身近な素材と、シンプルな手作業との対話が織り成す造形である。それらはまるで彫刻とオブジェとの境目を探るように極限まで簡素化され、緊張感と開放感との絶妙なバランスによって成り立っており、作家の研ぎ澄まされた神経が感じられる。
 吉田は完成度といったことより、初めてつくる時の手探りの気持ちを大事にしたいと語っていた。「ズサンさ」は「儚さへの興味」と言い換えられるかもしれない。弱さや脆さの中にも美を見出したのは、強さのみを肯定する西洋的思考にはない、日本特有の美意識であろう。早逝が何とも惜しまれる作家である。

「早逝が何とも惜しまれる作家である」と書かれている。前にも書いたが、企画がすばらしく、展示形態も見事だった。展示室は静かな緊張感が漂っていた。この展示は黒川さんの手によるものらしい。


佐倉市立美術館の吉田哲也(2010年3月15日)