3月21日の朝日新聞にミネルヴァ書房の全面広告が載っていた。その3分の2が古田武彦の書籍の広告だった。「古田武彦・古代史コレクション」全6巻。
1. 「邪馬台国」はなかった
2. 失われた九州王朝
3. 盗まれた神話
4. 邪馬壹国の論理
5. ここに古代王朝ありき
6. 倭人伝を徹底して読む
「『邪馬台国』はなかった」が朝日新聞社から初めて発行されたのが1971年だった。虎の門の本屋で見かけて気になったが買わなかった。題名が怪しすぎたからだ。邪馬台国関係の本は数多く出版されており、確たる証拠がないのをいいことに各著者が勝手な推測をしていた。邪馬台国に関する本をたくさん読んで、いい加減嫌になっていたのだった。なかった、だなんてどうせまた、と思った。でも、書店のどこの棚に並んでいたかはよく憶えていた。
それから十数年たって、友人がこの本をはじめ古田武彦の著書を20冊ほど送ってきて、ひと月の間に全部読めと強く勧められた。読み終えたとき、古田武彦の主張をすべて信じるようになっていた。
古田は隋の天子に「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す、恙無きや」を送ったのは聖徳太子などではなく、九州にいた天子だと主張する。
それは自明だった。わたしにとって、最初から疑うことのできぬ帰結だったのである。
「阿蘇山あり。…火起りて天に接す、云々」(隋書)の一文に接したときのことだ。あの有名な「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す、恙無きや」の名文句の前のこの一文、これを正面から見つめれば、「この天子は九州にいた」−−この帰結しか、わたしには考えられなかったのである。(「失われた九州王朝」はしがきより)
古田武彦は最初の日本の王朝は近畿天皇家ではなく、九州王朝だと主張するに至る。それは大変説得力を持っている。そして唐新羅連合軍と白村江で闘って破れたのがこの九州王朝で、その時闘いに参加しなかった近畿王朝が九州王朝に取って代わったというシナリオを描いてみせてくれる。日本の歴史が全く書き換えられるのを目撃することになる。
古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/tokfuruta/o.n.line/