住井すゑの説く断指の刑

 日本の昔の合戦は槍や刀の戦いではなく、弓矢が武器の中心だったという説を読んだことがある。そのことを踏まえて次の文を読んでみる。住井すゑは小説家で「橋のない川」の作者。
 少し古いが、住井すゑ「私の大和史」(「未来」1986年5月号)から。

橋のない川」を書くなかで、その昔、親指を切る刑があったのではないかと考えました。被差別部落民に対して「四ツ」と言われてきたのは、実際に親指を切って、四本指にする刑が行われたのではないか、という疑いです。
 それで思い出したのは、昔に読んだ白柳秀湖氏の著書に、「盗みの罪は一代、ただし反逆の罪は末代」と古文書にあるとの指摘でした。反逆の罪は末代というのは、世襲罪ということなんですよね。反社会的な罪は一代きりだが反逆の罪は親から子へと受け継がれていく。反逆の罪というのは、天皇制権力に対する反対行動で、古代では、その罪にあたる者は、代々親指を切られたということです。なぜ親指を切るか? それは一番人目につき易いからです。それに親指がないと、武器もうまく扱えないし、まず戦力をそぐという第一目的にかなうわけです。しかし、奴隷労働にはけっこう役に立ったでしょう。結局、反逆者は末代まで反逆者として人目にさらす。差別です。
 大和では、エタは穢(きたな)いとは受け取られていません。すべて、エタは「怖い」です。怖いというのは、反逆罪を起こしたやつだからです。いまだって幸徳秋水は怖い存在なんだから。だから指を切られた人間は「ああ、あれは四ツだ、怖いぜ」と、ずっと白い眼で見られてきたわけ。そしていまだに四ツは怖いと言われ、水平社を起こしてからはさらに怖い存在となったわけよね。
 一つ思い出すことがあります。京都で奈良本辰也氏にお会いした時のことです。ちょうど、断指の刑について書こうと思う直前だったので、「奈良本先生。先生は”四ツ”というのは何だとお考えですか」とたずねたところ、「あれは四つ足を扱ったからだよ」とのお答えです。それで私は「そうじゃない。もし四つ足に一番近いものを”四つ”と言うなら、馬に乗る武士こそ”四つ”のはず。だからそんなもんじゃない。あれは刑罰史を調べたらわかるんじゃあるまいか。そこには断指の刑があるに違いない」と言ったんです。そうしたら奈良本先生、顔色を変えて、「小説家というのはえらいことを考えるんだなあ」と考え込まれました。
 でも私は、「これは別にえらいことではなく、常識です。先生も書斎を出て、二、三年大和の部落に住んでごらんになれば、歴史の底が見えるんじゃありませんか」と、ぶしつけに言ったことなんです。そしたら最近手にした監獄史に、ちゃんと断指の刑があったと出てましてね。

 古代史学者の古田武彦は講演会で、被差別部落の分布と前方後円墳の分布はなぜか重なり合っていると興味深い発言をしていた。