亀山郁夫『ショスタコーヴィチ』を読む

 亀山郁夫ショスタコーヴィチ』(岩波書店)を読む。ソ連で最も著名な作曲家ショスタコーヴィチ。大きな栄誉とともに権力に媚びたとして激しい批判にもさらされてきた。国家的褒賞を13回も受けながら、スターリンの批判に心身とも深く傷ついてきた。亀井はロシア文学者でありながら、ショスタコーヴィチの伝記とともに、その作曲の内面をも深く追求している。
 スターリンの側近たちからショスタコーヴィチが評価されても、次にその側近がスターリンによって粛清される。政治局員のセルゲイ・キーロフもトゥハチェフスキー将軍も失脚し処刑される。社会主義リアリズム的な音楽が求められ、西欧的個人主義的形式的な音楽が官僚たちによって厳しく咎められる。
 オペラ『ムツェンスクのマクベス夫人』の初演の反響は上々だった。ところが舞台を見たスターリンが批判したらしく、共産党の機関紙『プラウダ』に「音楽ならざる荒唐無稽」と書かれた激しい批判が掲載された。それはたちまち各地に伝播した。
 その結果ショスタコーヴィチは次に書いた交響曲第4番の楽譜を机の奥深く隠して発表しなかった。
 トゥハチェフスキー将軍は国家反逆罪で粛清された。将軍は音楽ファンで、自らもヴァイオリンを弾き、ショスタコーヴィチを迎えて二重奏を楽しんだ。その将軍を訪ねた数日後、ショスタコーヴィチレニングラード管理局内務人民委員部に呼び出され、「同志スターリンの暗殺計画」を耳にしたのではと尋問された。それを否認すると、担当の取調官Zから翌日再出頭を求められた。翌日出頭すると、長時間待たされたあげく、別の職員から、取調官Zは昨夜逮捕されたので帰宅してよいと告げられた。ショスタコーヴィチは「奇跡的に逮捕を免れた」。
 交響曲第5番の初演は大成功だった。批判を避けるために敢えて純粋音楽の道を選んだ。亀山はこの曲の真意を様々に探っている。ロシア文学が専門でありながら音楽学者で通用するほどの専門性を発揮する。スターリンの60歳の誕生日を記念してスターリン賞が作られ、文学芸術部門でショスタコーヴィチの「ピアノ五重奏曲」が第1席を獲得した。亀井は本当はこれは交響曲第5番に授けられるべきものだったにちがいないと書く。『マクベス夫人』で「荒唐無稽」と批判されたマイナスをプラスに転じたのだった。
 交響曲第9番について、

 ここで指摘しておくべきことが一つある。つまり交響曲第9番には、はからずも二人のショスタコーヴィチが見え隠れするということである。一人は、歴史的文脈や社会の要請はほとんど意に介さず、自己のイマジネーションと本音のなかで格闘するショスタコーヴィチ。むろん、ここでの本音には、歴史と現実に対する彼の考えも含まれている。そしてもう一人は、確信犯的に自己そのものである音楽を書きながら、その音楽が厳しい批判ないし検閲にさらされる恐怖におびえ、右往左往するショスタコーヴィチ。映画音楽などでの社会貢献と引き換えに、社会主義リアリズムあるいはスターリン文化の岩盤になんとかみずからの独立した個性をねじ込もうと画策するショスタコーヴィチは、検閲当局がその危険性に気づかないかぎり、どこまでも横柄かつ狡猾に振舞う腹づもりでいた。ショスタコーヴィチの自らの天性への核心にはそのような一面があった。

 15の交響曲と主要な作品について、亀井はショスタコーヴィチの内面にまで踏み込んだ詳しい楽曲分析を繰り広げる。それは本当にみごとなものだけれど、一方で作曲とはそんなに内面的な心情などに左右されるものなのかとも思った。もっと純粋な音楽そのものが要請する展開があるのではないだろうかと。
 ショスタコーヴィチの最後の作品はヴィオラソナタだった。それはベートーヴェン弦楽四重奏団のヴァイオリニストであるフョードル・ドゥルジーニンに捧げられている。ショスタコーヴィチが亡くなった2か月後に正式の初演が行われた。ヴィオラをドゥルジーニンが弾いた。

ドゥルジーニンは回想する。
「……催眠術のような強い作用を聴衆に及ぼした。ホールで唯一の空席であるドミートリー・ドミートリエヴィチの席には花束が置かれ、そこから遠くない場所に、エヴゲニー・ムラヴィンスキーが、私の妻とならんで座っていた。……ムラヴィンスキーはまるで子供のように、止めどなく涙を流していたが、ソナタが終わりに近づくにつれて、文字どおり、慟哭に身を震わせていた。……舞台の上と聴衆の心の中で生じたことは、音楽の範疇を超えていた。われわれが演奏を終えたとき、私は、ソナタの楽譜を頭上に高く掲げた。聴衆の喝采を残らずその作曲者に注ぐために」
 スターリン権力と引用という二重の記憶に引き裂かれ、完成された作品に、ミューズは異常ともいえる美しさを下賜したのだった。

 ショスタコーヴィチは私の好きな作曲家の一人だ。良い伝記を読んで幸せだった。


岩波書店にしては校正ミスが目についた。
・処分に困ったイワンは、街頭をふらふらさ迷ううち警官に見とがめられ、警察書に連れ去られる。:警察書→警察署(p.60の後ろから4行目)
・暗殺されるセルゲイ・キーロフ(同じ年、政治局員に演出される):演出→選出(p.66の3行目)
・音楽が果たして個人の意図をどこまで性格に実現し、:性格に→正確に(p.147の5行目)