ハイテクは古びる


 日記をつけ始めて40年以上になる。ずっとノートに万年筆で書いてきた。6年前、マックのBiDiaryというシェアウェアの日記ソフトに変えた。検索が簡単だし、去年の同じ日、一昨年の、そのまた前の同じ日がすぐに見られて本当に重宝した。一昨年だったか、マックのOSをXに変えたら対応しなくなった。ソフトの作者に問い合わせたらもうバージョンアップの予定はないという。困った。仕方ないので、古いマック(OS 8.2)を日記を読み書きするためだけに捨てないで使っている。
 このようにハイテクは変わっていく。昔5インチフロッピーを使っていた。その前は8インチフロッピーもあった。3.5インチフロッピーは、もうドライブが外付けでなければつかえない。MOも古びていく。
 デジタル化したからと安心していると、ソフトもハードも変わって読めなくなる。Wordも一太郎もいつまでもある保証はない。将来jpegだってどうなるか分からない。たかだか15年の技術だ。どうしたらいいのか。
 古い技術ほど安定している。石に刻んだのは残る。紙に書いてもいい。最先端で便利なハイテクが一番もろい。しかしこれは不可逆反応だ。いまさら石に刻むわけにはいかない。
 少なくとも、そのことを肝に刻んでおくこと。BiDiaryの日記はプリントアウトしておこう。
 40年間の膨大な日記をどのように保管しているのか? いや、実家に残してきた最初の10年分はお袋が焼却処分してしまったらしい。それも仕方ないことだ。
 去年からまた紙に万年筆で書いている。