御厨貴 編著『近現代日本を史料で読む』を読んで

 御厨貴 編著『近現代日本を史料で読む』(中公新書)を読む。明治の元勲大久保利通木戸孝允などから始まって、石橋湛山鳩山一郎佐藤榮作に至る、明治から昭和の戦後までの、歴史的に重要な人物たちの残した日記や記録を紹介している。
 目次から拾うと、第1章「明治維新と近代――英雄たちの心の内」、第2章「大正・昭和戦前期――政党政治への道」、第3章「戦争の時代へ」、第4章「昭和天皇の記録――終戦秘史」、第5章「戦後政治と天皇――覆される歴史」の5つの章から構成されていて、約40の日記やメモなどが簡略ながらまとめられている。一つの日記に充てられているページ数は基本的には4〜6ページだが、原敬日記は12ページ、牧野伸顕日記と原田熊雄文書、木戸幸一日記、佐藤榮作日記はそれぞれ10ページが充てられている。重要人物であることと、日記の内容が充実していることがこの5人を選ばせたのだろう。
 植木枝盛は明治の民権活動家。32歳で衆議院議員に選出されているが34歳で病気のため亡くなっている。植木は全国で演説会を行っているが、日記には遊郭や旅籠での性交渉について21歳のときから11年間で200回を超えることが記されていて、相手の女性も100人を超えるという。マメな人だったんだ。
 原敬衆院議席を持つ最初の首相で「平民宰相」と称されたが、65歳のとき東京駅で刺殺された。自分の日記が後世にとり重要な歴史資料であることを自覚し、まず鉛筆で日々の案件を手帳に記し、その後罫紙に筆で浄書し、これを和綴じ製本して書棚に保管していた。
 倉富勇三郎日記は膨大で読みづらいことで有名だ。佐野眞一が『枢密院議長の日記』というタイトルで講談社現代新書から出版していて、私もこれを読んで本ブログで紹介したことがある。
 牧野伸顕大久保利通の次男、吉田茂は女婿にあたる。牧野日記が公刊されたのが死後41年の1990年、刊行後十数年で大正中期から昭和初期における宮中・皇室に関する研究水準が格段に引き上げられたほどの重要な日記だという。
 木戸幸一の日記について、執筆者の牧原出は「いかなる状態においても、客観的かつ冷静に日々の業務を記録している。驚くべき自己規律と観察力」と評価している。また昭和天皇からの深い信頼を得ていたという。
 半世紀にわたって昭和天皇に側近として仕え、侍従長退任の5日前に急逝した入江相政は「エッセイを通じて昭和天皇の日常を公にしたことでも知られるが」、「皇室を題材とするエッセイは元々生活苦のために書きはじめられたものであった」とあって驚いた。
 宮内庁長官を務めた富田朝彦の「富田メモ」。昭和天皇が1975年11月を最後に靖国神社へ参拝してないことの訳を、靖国神社A級戦犯松岡洋右白鳥敏夫が合祀されたからだと天皇が言ったと明記して話題になった。
 卜部亮吾日記を解説している御厨貴が興味深いことを書いている。

 最後に興味深い記述を一つ。
 他の史料では確認できないが、昭和天皇自らの日記の発見がある。「大正末期の先帝さんの日記」(1993年9月10日条)が見つかったのだ。だが、卜部が抄録を作った上で、原史料は徳川義寛らと相談し処分することになる。最終的にそれは、2000年6月に香淳皇后が亡くなった折、彼女とともに武蔵野東陵に埋葬されたようだ。

 読売新聞に山内昌之が本書の書評を書いている(2011年6月5日)。そこにはこんなことも引用されていた。

謹厳そうな東大法学部教授の矢部貞治は、外国留学から帰国した日に「夜2年2ヶ月振りに静子を愛撫す」と書いており、読者の度肝を抜く。或る日の記述などは、呼んだ芸者のうち誰それが印象に残ったと記述した。執筆者が、このあと矢部は「どうしたのだろうか」と学者らしからぬ詮索をしているのも、この本の魅力なのかもしれない。

 地味な本ではあるが、それなりに面白く読んだのだった。


佐野眞一「枢密院議長の日記」(2008年5月26日)