ハンプティー・ダンプティーを知っているか?

 昨年「オール・ザ・キングスメン」(スティーヴン・ザイリアン監督)という映画が公開された。これは1949年の同名の映画(ロバート・ロッセン監督)のリメークとのこと。英語の題名が、All The King's Menという。原作はアメリカの作家ロバート・ベン・ウォーレンの同名の小説で、日本では1966年に白水社から「新しい世界の文学」の1冊として鈴木重吉訳「すべて王の臣」として発行された。(最近、映画化に合わせてか新装版が出版された)。


すべて王の臣

すべて王の臣

 さて、ここで平野敬一「マザーグースの唄」(中公新書)からの引用を。

現在流布している形のハンプティー・ダンプティーの唄は次のようになっている。

  ハンプティー・ダンプティーは壁の上に坐った、
  ハンプティー・ダンプティーは勢いよく落ちた。
   王さまの馬を総動員しても、
   王さまの部下を総動員しても、
  ハンプティー君をもとに返すことはできなかった。
  Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall;
All the King's horses and all the King's men
Couldn't put Humpty together again.

(中略)
卵は、いったん割れたら、絶対にもとへ戻らない。その悲劇(?)を擬人化したのが、ほかならぬハンプティー・ダンプティーなのである。(中略)
 この「ハンプティー・ダンプティー」の唄を例にとるなら、たとえば原詩の3行目に「王の馬すべて」とか「王の部下すべて」という表現があるが、これだけで、ハンプティー君の壁の上からの墜落とその取り返しのつかない運命とを読者は想起するのである。このハンプティー君の唄を3歳の童子でも知っているという前提があるからこそ、「王の馬すべて」という表現が生きてくるのである。(中略)
 ある破滅へ向かって遮二無二進んでいく男の運命を描いたアメリカの現代小説に「王の部下すべて……」と題のついたのがある。どんなに力を尽くしてももとに返らない、狂瀾を既倒に廻らすすべもない、という作品のテーマを、この表題は、じつに簡潔にあらわしているのだが、こういう効果は作者も読者も「ハンプティー・ダンプティー」の唄を知っているという前提の上に成り立っているのである。邦訳の題は「すべて王の臣」となっていたが、伝承童謡を踏まえた表現であることを訳者が知っていてそう訳したのか、はなはだ怪しいと思う。