『ニッポン現代アート』はお勧めだ

 高階秀爾『ニッポン現代アート』(講談社)を読む。講談社のPR誌『本』の表紙に現代美術の作品を取り上げ、その作品解説を高階はもう7年間以上も続けている。本書はその平成20年7月号から平成22年12月号までの30点をまとめたものだ。
 まず高階のみごとな「序」から始まる。

現代アートは今、混沌のなかにある。混沌のなかにあるとは、拠るべき場所、帰属する陣営、掲げる旗幟がないということである。かつてはアートは、創造活動は、歴史のなかでそれぞれが収まるべき場を与えられていた。大きくは体制派と反体制派、あるいは保守対前衛という区分けであり、前衛派のなかにフォーヴィスムキュビズムシュールレアリスムや抽象、ポップ、ミニマリズム、コンセプチュアリズムなど、然るべき理論に裏づけられた部屋が生まれ、それぞれの場でアート活動が展開されていた。
 1970年代ぐらいからだろうか、このような事態に大きな変化が生じる。分裂と細分化を重ねた結果、歴史的枠組みはその意味を失い芸術家たちは拠り所を奪われて何の標識もない原野に投げ出されることになったのである。このような時代状況を、人は「イズムの終焉」と呼び、「大きな物語の消失」と規定し、「ポスト・モダン」と名づけた。以降芸術家たちは、羅針盤を失った船のように、ただ自己の感性だけを導き手として、この混沌の海へと船出をしていく。「現代アート」はこの時に始まった。

 紹介されている画家たちは、岡村桂三郎、小沢さかえ、中山玲佳、できやよい、齋藤芽生、石川順恵、奈良美智、押江千衣子、太郎千恵蔵、日高理恵子、安田佐智種、青木野枝、伊庭靖子、リ・ウファン、田村能里子、新恵美佐子、彦坂敏昭、岩熊力也、手塚愛子、間島秀徳、清川あさみ、丸山直文、呉亜沙、大谷有花、高柳裕、岩尾恵都子、花澤武夫、池田学、中西夏之、岡田修二とまさに錚々たるメンバーだ。年齢も1983年生まれの彦坂敏昭から1935年生まれの中西夏之まで幅広い。ただ若い作家に片寄っている傾向はあるが。
 カラー図版が1人3ページ、解説が1ページで、4ページの構成となっている(なぜか彦坂敏昭と丸山直文が2ページだけだが)。高階の解説はみごとなもので、難しい現代美術を平易に読み解いている。たとえば、石川順恵の作品「解体する視線5」について、


 ゆるやかに漂いながら画面全体を覆い尽くすさまざまな色。重なり合い、交錯し合うその豊潤な色模様は、透明感溢れるアクリル絵具を自在に塗り重ねることで生まれて来たものだが、見る者の目には、絵具層の集積と言うよりも、むしろ多彩な光の戯れの痕跡と映る。比喩的に言うなら、寄せては返す波の律動に洗われる海辺のキャンヴァスの上で、遠くから運ばれて来たさまざまの色が、波の去った後にも輝きだけをそこにとどめて、無限の変化に富んだ変奏を演ずる多彩な光のポリフォニーとでも呼ぶべきものである。絶妙な色彩感覚に支えられたその変奏の妙技が、石川順恵の作品の持つ魅力の大きな源泉と言ってよいであろう。(中略)
(……)つまりここでは、三種類の異なった位相の絵画空間が表現されている。その空間の位置を見定めようとして、実はそれらが同一の画面に併存していると気づいた時、見る者は快いめまいにも似た感覚に捉えられる。まさしく「視線」は「解体」させられるのである。描くことに徹した画家石川順恵の優れて独自の世界がそこにある。

 本書は平成20年7月号からの分が収録されているが、その前の平成18年1月号から平成20年6月号までの分は、高階秀爾『日本の現代アートをみる』(講談社)にまとめられている。さらに連載は現在も続いており、最近の6月号で30人分が出来上がり、3冊目の続刊が刊行されることが期待できる。まさに現代アートの見取り図、索引帖=indexなのだ。
 第1巻が発行されてから本書の発行まで5年近くが経っている。おそらく第1巻があまり売れなかったのだろう。それで今回デザインを一新して発行されたのだ。これが順調に売れて早く3巻目が発行されることを願っている。


高階秀爾『日本の現代アートをみる』を読む(2012年12月30日)


ニッポン現代アート

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