スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)を読む。戦争とそれを撮影した写真について論じている。さきに出版している『写真論』の補完・発展とも言える。本書を読もうと思ったのは、小林紀晴『メモワール』(集英社)を読んだから。『メモワール』は写真家・古屋誠一との20年の交流を描いている。堀江敏幸の『メモワール』の書評から引く。
論の対象は、1950年生まれの写真家、古屋誠一である。東京で写真を学んだのち、23歳で渡欧した古屋は、1978年、オーストリアのグラーツで出会った女性クリスティーネと結婚する。その直後から彼女は重要な被写体となるのだが、次第に精神に異常をきたし、一児を遺して、1985年、当時彼らが住んでいた東ベルリンのアパートから身を投げた。以後、古屋は、亡き妻との時間を仏語のメモワール、すなわち記憶と自伝の意味を兼ねる重層的な題のもとに、写真集の形で再構成しはじめる。
古屋はクリスティーネが飛び降り自殺した直後に、飛び降りた9階の窓から見下ろしてそれを知り、まずカメラを取りに部屋へ戻り、窓から地面に倒れている妻の姿を写真に撮った。
そのことが小林紀晴に大きな謎となっている。『メモワール』で小林がスーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』の一節を引用している。
人はきわめて残忍な行為や犯罪を記録した写真を見る義務を感じることができる。そうしたものを見ることの意味について、またそれらが示すものを実際に吸収する能力について、考えてみる必要がある。(中略)
実際、切断された身体に惹かれることが最初に認識されているのは、(私の知るかぎり)精神的葛藤についての先駆的著述においてである。それはプラトンの『国家』第4巻のなかの1節である。そこでプラトンの描くソクラテスは、理性がくだらない欲望に打ち負かされる場合があり、そのために人は己の本性の一部に対して怒りを覚えるようになる、と述べている。プラトンは精神の機能について、理性、怒りないし憤怒、欲求ないし欲望という3つの部分からなる理論を展開している。(中略)この論議の過程で、人が不承不承にせよ、忌まわしいものの魅力に屈するさまを例証するべく、ソクラテスは、アグライオンの息子レオンティオスから聞いた話を語る。ペイライエウスから北の城壁の外側沿いにやってくる途中で、彼は地面にいくつかの死体があり、処刑人がそのそばに立っているのを見た。彼は近くに行って見たいと思ったが、同時に嫌悪を感じて引き返そうとした。しばらくは煩悶し、目を蔽っていたが、ついに欲望に勝てなくなった。彼は目を見開いて、死体に駆け寄ると叫んだ。「さあ来たぞ、お前たち呪われた眼よ、この美しい光景を思いきり楽しめ」
理性と欲望の葛藤の例証として、不穏当あるいは不法な性的欲望の、よりありふれた例を選ぶのは避けながら、プラトンは人間が堕落や苦痛や切断の光景にたいする欲求をも有していることを自明のことと考えているように見える。
死に関してソンタグは注の形でアンディ・ウォーホルについて触れている。
(9) 重要なことだが、しばしば死を扱い、無関心の喜びにかけては大司祭のアンディ・ウォーホルはさまざまなかたちの暴力的な死(車や航空機事故、自殺、処刑)を報じるニュースに引きつけられていた。だが、彼のシルクスクリーン上の映像は戦死を除外した。電気椅子の報道写真や、「ジェット事故で129名死亡」というタブロイド新聞の大見出しはあるが、「ハノイの爆撃」はない。ウォーホルがシルクスクリーンに描いた、戦争の暴力に関係のある唯一の写真は、イコン的存在、つまり決まり文句となった、原子爆弾のきのこ雲で、これは切手のように連続して描かれており(マリリン・モンローやジャッキー・オナシスや毛沢東の顔のように)、その不透明さ、魅惑、陳腐さを示している。
さまざまに作られているある記念博物館であるが、アメリカには現在も奴隷制の博物館がないという指摘も驚きだった。
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