山田洋次『映画をつくる』を読む

 山田洋次『映画をつくる』(国民文庫)を読む。第1刷が1978年だから42年前の出版。この時山田洋次47歳、『男はつらいよ』も17作まで撮ったところだ。もう松竹のドル箱監督になっていた。松竹では大島渚と同期、ほかに篠田正浩吉田喜重などがいた。

 最初に山田が映画界に入ったあたりから語られる。入社試験に落ちて補欠で入社できたとか率直に語っている。入社して野村芳太郎監督の脚本を書いていた。

 たくさんの脚本を書いたが、テレビ用に書いた『男はつらいよ』がヒットし、それを映画化した。松竹ははじめこの映画化に消極的だったが、山田が頼み込んでやっと撮らせてもらった。それが評判がよくてシリーズ化したのだった。

 同期で入った大島渚は秀才で篠田正浩らとともに松竹ヌーベルバーグと称えられたが、『愛と希望の街』とか『日本の夜と霧』などで会社と対立し、退社してしまう。補欠で入った山田洋次が松竹の屋台骨を支える監督になっていく。

 だが私は山田洋次は『男はつらいよ』を2本くらいと『キネマの天地』しか見ていない。『男はつらいよ』はよくできた喜劇で面白いが、時間潰しで見るような映画ではないだろうか。『キネマの天地』はつまらなかった。ただ私の評価は思いっきりへそ曲がりで、ベストセラー小説は読まないし、『男はつらいよ』を初めて見たのは、正月にカミさんの実家を訪ねたとき、皆で映画を見に行こうとなって、両親とカミさん、私で見るのはその辺に落ち着いたのだった。

 後半山田洋次が自分の映画作りについて書いているが、それが面白くない。多分自分のことがあまり分かってないのではないだろうか。脚本家とかカメラマンとかスタッフに語ってもらったほうが、山田洋次の特質が現れるのではないかと思われた。

 さて、読み進めながら山田洋次って文章が下手だなあと思っていたら、あとがきに映画評論家と話した内容を編集者が文章化したものだとあった。なるほど、聞き書きでは独自の文体を使うことは難しい。どうしても平易な一般的な表現になってしまう。ふだん難解な文章を書いている養老孟司が『バカの壁』では分かりやすい文章でベストセラーになったのも聞き書きのせいだった。

 

 映画をつくる (国民文庫 840)