山田宏一『増補 トリュフォー、ある映画的人生』を読む

 山田宏一『増補 トリュフォー、ある映画的人生』(平凡社ライブラリー)を読む。山田宏一を読む楽しみ。
 私は戦後フランスのヌーヴェル・ヴァーグの映画が好きなつもりでいた。でも見てきたのはほとんどゴダールのみで、アラン・レネルイ・マルエリック・ロメールが少し、このフランソワ・トリュフォーについては1本も見ていないことに気がついた。でも、私は山田宏一の書くフランスヌーヴェル・ヴァーグものが好きなのだ。山田宏一の『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』(平凡社ライブラリー)も『トリュフォーの手紙』(平凡社)も『映画とは何か』(草思社)も楽しい読書だった。
 本書は、山田宏一による映画監督フランソワ・トリュフォーの伝記だ。トリュフォー山田宏一の信頼し合っている交流と、山田のトリュフォーへの愛情と尊敬が滲んでいる優れた伝記だ。トリュフォーは両親に疎まれ、学校もさぼり、孤独な少年時代から青年に至るまで映画だけを見て育った。不良として両親から少年鑑別所に入れられ、また女性に棄てられて自棄になって入隊した軍隊も脱走して軍刑務所に収監され、その都度親代わりになった映画評論家のアンドレ・バザンに救われる。バザンを中心とした映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に集まった若者たちが、やがて映画制作に進んでいく。クロード・シャブロル『美しきセルジュ』と『いとこ同志』、トリュフォーの『大人は判ってくれない』、エリック・ロメールの『獅子座』、ゴダールの『勝手にしやがれ』等が撮られ、それらが絶賛を浴びる。
 トリュフォーの『大人は判ってくれない』は1969年のカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞する。次いで『ピアニストを撃て』、『突然炎のごとく』を撮り、評価を確実にする。トリュフォーはしばしば自伝的な要素を映画化してきた。
 トリュフォーは愛する美しい母親から一切相手にしてもらえなかった少年期の記憶が離れない。

……『野性の少年』はトリュフォー自身の物語であり、『大人は判ってくれない』と表裏をなす自伝的作品であったとも言えるだろう。
 さらにその延長線上に、あたかも『大人は判ってくれない』に描かれた少年期の反抗と非行の真の意味を再検討するかのように、女の脚をめぐる妄執をテーマにしたトリュフォーの精神的自伝とも言うべき『恋愛日記』がつくられる。主人公ベルトラン・モラーヌ(シャルル・デネル)の回想シーンには、母親の淫らなくらい美しい脚が何度も印象的に出てくるのだが、その母親の愛を幼少期に得られなかった代償として中年になってもなお女の、それもすべての女の、愛を求めつづける男の「恋愛日記」である。
「ひたすら女たちを愛し、女たちを追いかけ、女たちの愛を求めつづけた」男の物語なのである。主人公は40代の独身なのだが、トリュフォーがこの映画を撮るのが45歳のときである。「女、女、女」に熱中する主人公は、変態ではなく、社会生活もまともに営んでいるのだが、ただもう「女という女に心ひかれ」、「どんな女も、他の女にはない何かを持っており、いとおしく捨てがたい快楽を約束してくれるように思える」ので、そのあとを追いかけつづけるのだ。彼は「不安にみちた孤独な愛の狩人」なのだ。

「その母親の愛を幼少期に得られなかった代償として中年になってもなお女の、それもすべての女の、愛を求めつづける男」という一節は中沢新一を思い出させる。河合隼雄中沢新一の対談集『仏教が好き!』(朝日新聞社)から、

中沢−−僕は「なぜあなたは仏教に関心を持ったりして、仏教の修業なんかを始めたんですか」と聞かれることが多くて、そのたびになかなか本心を言わなかったんですけど、相手が河合先生だから(笑)白状してしまいます。僕は子どもの頃、現実の母親というものに共感できなかったんですね。このことに苦しんでいました。ですから逆に、そこから女性に対して強烈に惹かれるものがありました。よじれたコンプレックスができちゃったんでしょうね。青年に近づくと、たくさんの女性と親しくなるようになりました。でも、どの女性ともそんなに長くいっしょにいられない。そこで、つぎつぎと相手を替えていくことになります(笑)。

 これは、やはり中沢新一トリュフォー同様、幼少期に母親の愛情を得られなくて苦しんだということだろう。
 さて、『トリュフォー、ある映画的人生』の「あとがき」から、「映画狂の不良少年から映画評論家をへて映画監督になるまでのフランソワ・トリュフォーの冒険−−その冒険に遭遇し、付き合う旅もまた、私にとって、一つの冒険であった」。私もその冒険談に付き合う楽しみを味わったのだった。


仏教が好き! (朝日文庫)

仏教が好き! (朝日文庫)