中沢新一の見た夢の分析

 中沢新一『ミクロコスモス I』(中公文庫)に中沢新一が見た夢のことが書かれている。その「芸術人類学研究所を開く」という多摩美術大学で行った芸術人類学研究所の開会式の挨拶を収録したところにそれが紹介されている。

 ぼくは奇妙なことに、子供のころから、同じ夢を何度も何度も見つづけています。砂漠の平原のなかに赤い大きな石でできた山が立ち現れるのです。まるでセザンヌのサント=ヴィクトワール山のように、その山の存在は、ぼくのなかでどんどん大きくなっていきましたが、そういう山が現実にあるのか、またそれはどこにあるのかもわからないまま、同じ山の姿を夢のなかで何度も何度も見つづけたのでした。ところがあるとき何気なくオーストラリアの観光案内を見ていると、それがオーストラリア大陸の中央部にあるエアーズロックという山で、いまもアボリジニの聖地だということがわかって、びっくりしてしまいました。
 それから何年もたって、チベット人の世界で心の勉強をするようになっていたときのことですが、講義のあいまにチベット人の行者さんにこのことを話しました。自分は不思議なことに同じ夢ばかりを何度も見て、それはどうもオーストラリアの砂漠のなかにある山の光景らしいのだが、自分はまだじっさいにオーストラリアに行ってその光景を見たこともない、こんなことがあるのでしょうか、とたずねました。すると、先生は即座にこう答えてくれました。この先生は人の過去生を見る能力をもつと知られていた方です。先生は「あなたは過去の生において、カンガルーというあの奇妙なオーストラリアの動物だったことがあります」と。
 確信にみちたそのことばを聞いて、すっかり納得いたしました。(中略)それは何度も何度もくりかえされた遠い過去の生におけることでしたが、ぼくはオーストラリアの砂漠に住むカンガルーで、夜明けから日没まであきもせず目の前にあるあの赤い山を見つづけていた、その記憶が心の深い層に保存されたままになっていて、夢を通してときおり意識の近くにまで昇ってくるのでしょう。あれはなんと、記憶の山だったのです。

 尊敬する中沢の意見だが、素直に同意することができない。
 アメリカの現代美術作家ジョゼフ・コーネルは箱を作る作家だった。川村記念美術館にも作品が収蔵され、そのホームページでコーネルについて読むことができる。

アメリカ生まれのジョゼフ・コーネル(1903-1972)は、「箱のアーティスト」として知られています。1931年にエルンストやダリなどのシュルレアリスム芸術に感化され、自らコラージュなどを制作したあと、彼が生涯を通じて作り続けたのは、両手で抱えられるほどの大きさの手作りの箱にお気に入りの品々をしまい込んだ作品でした。それらはコーネル自身にとっての宝箱であると同時に、彼独自の世界観を披露するショーケースであったといえます。
http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/joseph_cornell.html

 コーネルは激しいマザコンだったという。すると、コーネルの箱は彼の母親ではなかったか。精神人類学者の藤岡喜愛によれば、夢に現れた部屋は女だという。箱は部屋に通じるのではないだろうか。
 私も部屋の夢を繰り返し見たことがあった。長い間見捨てて帰らなかった自分のアパートとか寮の部屋へ久しぶりで帰ると、見知らぬ他人に占領されていたり、大家が荷物を運び出しているという夢だった。夢に現れた部屋は女だと知ったとき、私にとってその女は母を表わしているのだろうとすぐに分かった。20歳で上京して以来、田舎に母を置き去りにしてきたという普段意識することのない強い悔恨があったのだろう。繰り返し部屋を夢に見た理由はそれだったろう。
 その経験から、中沢が繰り返し夢に見たオーストラリアのエアーズロックも、何か別の心理的象徴ではないだろうか。前世という考え方に馴染むことができない。