淀川長治・山田宏一『映画は語る』がすばらしい

 淀川長治山田宏一『映画は語る』(中央公論新社)がすばらしい。対談というよりも、山田の淀川へのインタビュー集。山田は淀川に6回のインタビューを行っている。それぞれテーマは「トリュフォー」「バスター・キートン」「(プロデューサーの)サミュエル・ゴールドウィン」「ハリウッドへ行く」「フランス映画」「邦画」となっており、1985年から1998年にかけて行われた。淀川は1998年に89歳で亡くなっているので、最晩年のインタビューだが、記憶などに衰えは感じられない。
 すばらしいインタビュー集だ。二人の信頼関係がこのような傑作を生んだのだろう。この二人に蓮実重彦が加わった鼎談『映画千夜一夜』(中公文庫)を思い出す。
 淀川はハリウッドの大プロデューサー サミュエル・ゴールドウィンを絶賛する。MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)のゴールドウィンだ。

淀川  ゴールドウィンをあなたと語るのを楽しみにしてたのね。ゴールドウィンのどの映画を語ろか思ったけど、あんまりいいのでね、たくさんありすぎてね、言えないぐらいだね。ゴールドウィンアメリカ映画のほんとの最高のプロデューサーやなあ。ゴールドウィンの映画を見るときにな、ぼくはどういうのかしらん、ほんとに上等の服着て見たいぐらいにね、いいかげんに見たくないのね。だから、いちばんいい映画の仲間の山田さんとお話しし合えるのがゴールドウィンで、しかも初秋にね、今晩語れるのはな、粋な晩だと思ってよろこんでいるの(笑)。

山田  (ゴールドウィンは)アメリカに渡るのが20歳になるかならないかぐらいですね。貧しいところから身をおこして映画を発見していくんですね。
淀川  そうなの。それでね、ぼくは、豊かな生活してる人が芸術がわかると思ってたの。貧しい人、貧乏な人はいつまでたっても貧乏が身についてだめだ思うとったの。いつまでも趣味が悪くて。そう思ったの、貧乏な人は一生貧乏なものがついて。でも、チャップリンはそうじゃなかったのね。ゴールドウィンもそうなの。あんなぜいたくな人になるとは思わなかった。やっぱりそれは偉い人にもまれて、ああなってくるんだな。
山田  貧相な映画はつくってないですね。そういえば。
淀川  全然ないの。お金もかけるし、非常にゴージャスやな、この人はね。だから、立派なアメリカ映画をつくった。お金の使い方も、シナリオに使う。立派だったな。そういうのでいいこともう一つは、趣味。どう言っていいかわかんないけど、ゴールドウィン映画の趣味があるのね。何か表現できないけど、あるんですよね。
(中略)
 ゴールドウィンは92歳で死んだのね。長生きしたね。でも、ゴールドウィンみたいあんな立派な人でも2度結婚してんの。1回結婚して失敗するの。面白いね。

山田  無学だったけれども映画はよく知っていたという伝説的な人物らしいですね。
淀川  そうなの。どっか知らないけど、映画のセンスが身について、ゴールドウィンの映画はほんとに、ただの大作の映画やなしに、なんとも品のあるゴールドウィンの映画になっとるもんな。
山田  そうしてゴールドウィン調、ゴールドウィン・タッチを最も見事に反映した作品群がウィリアム・ワイラー監督によるものですね。『この三人』(1936)、『孔雀夫人』(1936)、『デッド・エンド』(1937)、『嵐ヶ丘』(1939)、『西部の男』(1940)、『偽りの花園』(1941)、『我等の生涯の最良の年』。これらの名作が全部ビデオで見られます。どれもきちんとつくられた風格のある作品ですね。ビデオの画面でも圧倒されました。

山田  じつはウィリアム・ワイラーの監督の戦後のものしか見てなくて、『黄昏』(1952)を除くとそんなに感心した映画はなかったんです。ですから、今度ビデオで始めて戦前の作品もいろいろ見て新発見だったんです。
淀川  ワイラーを? 新発見? ちょっと待って。ワイラーを初めはそんなに感激しなかったの? ちょっと殺したいな(笑)。よくもそういう発言を。山田宏一がそんなこと言ったら世間でストップだよ。
山田  すみません(笑)。こんど初めて見てびっくりしたんです(笑)。『この三人』も『デッド・エンド』も『我等の生涯の最良の年』も初めてですから。
淀川  その言葉聞くと、3年間あんたともの言わない(笑)。ワイラーって最高だよ。ワイラーとゴールドウィン組んだら、アメリカ最高だよ。
山田  ほんとうにそう思います。すみません(笑)。
淀川  ジョン・ヒューストンがおろうが、ジョン・フォードがおろうが、やっぱりワイラーですよ。ワイラーはよくゴールドウィンの趣味と合うんだね。ワイラーもそういう趣味だね。ゴールドウィンとよく似てるね。だから、ワイラーとゴールドウィンはけんかしとっても仲いいんだね。

 戦後すぐの1951年、『映画の友』の編集長をしていた淀川は、ハリウッドへ行って大監督やビッグ・スターたちに会う。そのエピソードがむちゃくちゃ面白い。「ぼくとこの会社の橘さんという社長は、非常に教育がない人で(笑)、下品なことをたのんだの」という下品なこととは、サインなんかどこにでも出るから、手形、足形、キスマークをとってこいということだった。

淀川  (……)バーバラ・スタンウィックを見たら、「ハロー」ってこんな感じでしょ。(中略)なんでも言いなさいという感じ。これならキスマークはとれると思ったのね(笑)。「何をたのんでもいいですか」「オーケー。何をたのんでもいいですよ」と彼女が言ったの。「でも怒るかもわからない」「怒らない」と言うのね。ぼくは小さい声で「キスマーク」と言ったの。「エーッ?」とバーバラ・スタンウィックが言ったの。やっぱりえらいことを言ったと思った、ぼくはね(笑)。彼女はみんな呼んじゃったの。「この人、私にキスマークとってくれと言ったんだけど」と言ったら、みんなが笑っちゃったの。ぼくは、みんなの笑われ者になったと思ったら、「こんなスイートなインタビューは初めてだ」って(笑)。「ナイス・ボーイ」って言うんですよ。

 日本映画を語る章で、早川雪洲ヴァレンチノが出る前のハリウッドのエキゾチックなスターのナンバーワンだったという。

淀川  (……)早川雪洲は見事な日本の代表で、アメリカの人が言っているんだからどこまで信用していいか知らないけど、ハリウッドの映画の歴史のなかでいちばんのハンサムは早川雪洲だって。早川雪洲が出るといったら、女の人は全部飛んでいって見たの。ハリウッドのサイレント時代のスターは2番がウォレス・リード、3番がヴァレンチノ。ナンバーワンが早川雪洲だった。

 邦画の項の最後で、現代で一番良い監督は、北野武だと言う。

淀川  (……)やっぱり、いまの最高はたけしさんだね。たけしの存在が飛び抜けていてね。ほかの監督のはがっかりしてね。よくこんな下手な撮り方したなと(笑)。いろいろ見たけど、みんなつまらないのね。映画が大人じゃなかったり、うまいけど商売人の映画だったり、アイデアだけに酔ってひとりよがりだったり、器用すぎたり、はったりだけの映画だったり、日本映画こんなに落ちたかと思ったの。キャメラがきれいだったから、まだましだったというのもあるけど。

 いままでいくつか読んだだけだけど、淀川の語りは絶品だ。聞き手が山田宏一蓮実重彦だったら、もう最高レベルの映画談義と言っていい。文化勲章がすごいというわけじゃないけれど、淀川長治こそ文化勲章に価する人だったと思う。
 その蓮実重彦との対談が『マリ・クレール』1990年7月号の「映画特集」だった。この雑誌私の宝として永久保存している。
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淀川長治と蓮實重彦の映画対談がおもしろかった!(2007年2月7日)


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