クリストフ・コッホ/土谷尚嗣・小畑史哉 訳『意識をめぐる冒険』(岩波書店)を読む。大変刺激的な読書だった。コッホはカリフォルニア工科大学生物物理学教授でアレン脳科学研究所所長。本書は脳科学研究における意識についてかなりやさしく語っている。意識や主観的な感覚がどこから生じてくるのか、という問いに応えてくれようとしている。以前哲学が扱っていた問題を現在では脳科学が担当しているようだ。
残念ながら、本書の複雑で多岐にわたる内容を私は要約することができない。その中で、意識についてはっきりと語っている部分を紹介する。
意識はこの宇宙を支配する究極の基本特性の一つであり、特に生命体に宿りやすいものだと私は考えている。意識は、どんどん極小の世界を探索していけば、それが生まれてくるレベルを突き止められるようなシロモノではない。ライプニッツがいうところの、最小単位のメカニズムに意識が宿っており、それ以上の物質的な基盤はないのだ。
私の言う汎神論的な考え方は、電磁気学の専門家による電荷についての説明と似たところがある。(中略)化学と生物のレベルで考える限り、電気量はこれらの粒子(電子と陽子)が元から持っている特性だ。電気量は物質レベルで突然創発的に現れるわけではない。
電気が粒子の特性であるのと同様に、意識は、組織化された物質の塊、何らかの構造を持つシステムが元から持つ特性だと考えることができる。そして、システムの構成要素を調べたところで、意識という特性が説明されることはない。つまり、「意識は何らかのシステムの特性だ」というのが終点で、これ以上は還元主義では先に進めないということだ。
この考えを突き詰めると、「相互作用する部分から成り立つシステムであれば、ある程度の意識を持つ」という法則が、この宇宙を支配していることになる。システムの規模が大きくなればなるほど、また高度にネットワーク化されればされるほど、意識の程度はより大きく、より洗練されたものになる。人間の意識が、犬の意識よりはるかに洗練されたものになっているのは、人間の脳に含まれるニューロンが、犬の脳に含まれるニューロンの数より20倍も多く、また高度にネットワーク化されているからだ。
いま私は「相互作用する部分から成り立つシステム」と表現し、「相互作用する部分から成り立つ生物システム」とはあえて言わなかった。というのも私は、「生命」が意識に必要であるかということに疑いを抱いているからだ。意識を成り立たせるための条件を詰めていくと、システム内の部分どうしの相互作用それ自体が重要であって、この場合の「相互作用」が〈生物固有のメカニズム〉どうしの相互作用でなければ」ならないという理由はみつからないのだ。これは「機能主義」という、意識を研究している哲学者やエンジニアたちのあいだで広く受け入れられている考え方に通じるところがある。機能主義は、掛け算や割り算といった算数の計算を考えてみるとわかりやすい。計算は、紙に鉛筆で書くことでも計算できるし、計算尺を使うことでも、そろばんの珠をはじくことでも、ポケット計算機のボタンを押すだけでもできる。どの手段でも同じ計算が可能だ。したがって、これらの手段は機能的に同じである。(中略)哺乳類の脳のように頭蓋骨に収められていても、昆虫のように外骨格に包まれていても、パソコンのCPUのようにアルミ製の箱に入っていても、同じ機能を果たせれば外側のパッケージはどのようなものでもよいと機能主義者は考える。
意識を機能主義の見方から考えると、内部構造が人間の脳と機能的に同じであるシステムは、人間と同じ意識を持つことになる。(中略)私の脳内のあらゆる軸索、シナプス、神経細胞をワイヤーとトランジスターと電子回路で置き換えたとして、それぞれの機能が「完全に」同じなのであれば、私の意識経験に何の変わりもないはずだ。
脳が意識を生み出す決定的な要因は、脳を構成する物質の特殊性にあるのではない。そうではなく、システムの構成要素どうしが、どのようにお互いつながりあっていて、どのような影響を与えあうか、という構造のレベルでの特異性こそが、脳が意識を生み出すようになっている根本原因なのだ。「意識は、それを成立させる物質の性質に依存しない」とも言える。生物学者やエンジニアは、機能主義の考え方のもとに、数々の自然現象に原理的な説明を与えたり、また自然の仕組みを模倣したりすることに、大きな成功を収めてきた。意識のメカニズムを考える際にも、機能主義の考え方は役に立つと私は考えている。
コッホは「 意識を機能主義の見方から考えると、内部構造が人間の脳と機能的に同じであるシステムは、人間と同じ意識を持つことになる」と言っている。そして、その先では、
(……)ワールドウェブには既に意識があると言えないだろうか? どのような証拠があれば、ウェブが意識をもつと言えるだろうか? 近い将来にウェブが目覚めて、その自律性によって私たちを驚かすことは果たしてあるだろうか? (中略)
統合情報理論は、意識は宇宙の基本的な特性であると考える汎心論の進化形であると言える。汎心論とは、「単純な要素どうしが複雑に組み合わさったときに、突然、意識が創発的に出現することはありえない」という考え方だ。〈すべてのものには、ある程度の意識がある〉という汎心論の考え方は、その簡潔性、単純さ、論理的一貫性から見て、大いに魅力的だ。意識の精神世界が存在することを認め、意識を生み出す物質の世界の原理と意識の世界の原理は異なるのだと考えるならば、宇宙全体のあちこちに、何らかの意識が存在していても少しもおかしくない。私たちの周りには、何らかの意識をもったシステムが充満しているのだ。意識は、私たちが吸い込む空気中に含まれ、踏みつける土のなかに存在し、腸内細菌が持ち、私たちの思考を可能とする脳のなかに存在するのだ。
つまり、ロボットが意識を持つことを示唆している。なんという魅力的な考え方だろう。ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムの『ソラリス』と通底する発想だ。コッホは動物の意識を実感したときに、哺乳類の肉を食べることをやめたという。
意識への理解がまた少し深まったと思う。昔、宇宙論が哲学から科学に変わったように、意識に関する研究が哲学から脳科学に変わりつつあるかのようだ。
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