奥村欣央編集・発行の雑誌『あぢと』2014年5号に、7月にギャラリー403で行った山本弘展の展評が掲載された。
mmpoloさんから案内状をもらい奥野ビルへ行く。曽根原さんがいた。初日は柴田和さんが来ていたよ、と聞く。山本弘という画家、こうゆう人があまり評価をうけず亡くなっているのは、あらためてパブリックな美術関係者のタイマンを感じてしまう。大竹伸朗さま、村上隆さま、そんなゾク物アーティストにゴマすってる場合じゃない。山本弘も上原二郎も現代美術としても、おもいっきり通用する造形を、わかる人が少ないのは僕も絵を描いているから、もうすでにアートというものに失望しきっているし、しかし、だ。50年後の世の中をみたら、あきらかに山本弘はゆるぎない評価をうけるであろうし、大竹伸朗ちゃんなどはみじめな生活が口をあけて待っている。池田龍雄さんも山本弘さんと昔、高円寺あたりで一緒に飲んでいたとポロさんが言っていたが、ユマニテでちょうど池田さんの展らん会をやってるというので立ち寄る。
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mmpoloの日記を数年前インターネットで知り時々みるようになって、そこではじめて山本弘という画家を知る。今回はじめて実作品をみたがすごい絵ばかりだ。山本弘にはたしかな空間認識と造形言語がありこれはたまたま描けた絵ではなく、本人が一番確信していたはず。
筆者の奥村欣央さんは画家で、写真家でもある。最近は『日本カメラ』フォトコンテスト、モノクロプリントの部で、7月号銀賞、8月号金賞、9月号銅賞という連続受賞に輝いている。若いころ師事した杏美画廊のオーナー信藤正雄さんが亡くなったことに関連して思い出を書いている。
杏美画廊の信藤正雄さん死去。僕が20才前に造形根性をタタキ込んだ恩人であった。あのパワフルだった信藤さんもガンにはかてなかった。
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セザンヌの画集を……
僕が18才の時信藤さんに渡された。「よく勉強しろ」2週間たってセザンヌの画集を杏美画廊に返しに行くと信藤さんは「もう返すのか!! 返すのが早すぎるぞ、よくみたのか!!」としかられた。18才でセザンヌの空間はまったく理解できんかったが信藤さんのおかげで20才までにセザンヌをマスターした事はその後大きな造形力のプラスになっている。野見山造形もゴーキーも、セザンヌを無視しては越えることはできないのがよ―くわかった。
この雑誌「あぢと」には、このほか興味深い記事が多く掲載されている。全32ページ、すべて手書きで、コピーしたものをホチキスで綴じている。