山本弘の絵について教わった

 最近、銀座のギャラリー403で山本弘展を行った。毎日会場に出勤して多くの方々に山本の作品について話をした。見に来てくれた友人から、お前は山本さんの絵について、作品の意味や成り立ちなんかを話していたね、それが重要だって考えているのかと訊かれた。
 そういう風に見えたのかと気がついた。自分では山本弘の作品は造形的に優れていると思っている。作品として端的に優れている。しかし、見に来てくれる人たちに説明するとき、造形的に優れているとか作品として優れているというのは説得力を持ちにくいと考えていたようだ。すると、作品の意味するものや描かれたときの状況などを説明するのが分かりやすい気がしたのだった。
 画家たちの見方は違った。抽象絵画を描いているベテラン画家のOさんの話がとても刺激的だった。ここに掲げる「流木」について、Oさんが言う。

 この絵の左上と左下に黒い部分がある。この黒い部分の下には赤色は描かれていない。また右下に白い形が描かれている。この白い形の下にも赤色は描かれていない。画家はまず赤色を描いて、その描かなかった部分に黒や白を描いている。つまり赤い色を描いているときに、画家はすでに完成した形を思い描いている。塗りながら、考えながら作ったのではなく、一挙に制作している。それはすごいことだ。

 つぎに「黒い丘」を見てみよう。2010年の銀座のギャラリーゴトウ2nd roomでの個展で並べたものだ。前述のOさんの話。画面の左中央に小さな黄土色の四角がある。この四角の効果が絶妙だと言う。試しに指でこの四角を隠すと絵の緊張感が変わり、これがどんなに重要な要素か分かるという。そしてこの黄土色の四角の下には黒色が入っていない。黒を描くときに白く抜いていて、それに黄土色を描き加えている。黒を描くときにすでに完成した形が出来上がっている。
 山本弘は早描きだったという。絵具を塗りながら考えながら制作していったのではなく、キャンバスを前にしたときすでに作品の完成形が見えていたのだろう。その優れた画家が生前誰からも評価されず、東京から遙かに遠い地方の片隅で、ただ自恃の思いだけで孤独に描き続けていたことを思う。