福岡伸一「できそこないの男たち」

 「生物と無生物のあいだ」が好評だった福岡伸一の新刊「できそこないの男たち」(光文社新書)は興奮するくらい面白かった。それはどうしてか?

 教科書はなぜつまらないのか。それは、なぜ、そのとき、そのような知識がもとめられたのかという切実さが記述されていないからである。そして、誰がどのようにしてその発見に到達したのかという物語がすっかり漂白されてしまっているからである。

 だからこの本には面白いエピソードが満載されている。精子の中にY染色体を発見したネッティー・マリア・スティーブンズの業績を紹介するために、福岡はニセハムシとかニセハムシダマシとかコクヌストモドキのように、ニセ、ダマシ、モドキとつけられた昆虫がいることからはじめる。ネッティーはチャイロコメノゴミムシダマシ卵子精子を顕微鏡で観察することを続けていた。その研究の困難な過程を福岡は詳述する。
 また福岡にはすばらしいユーモアがある。

(前略)大きな規模の国際学会が開催された。(中略)そこでは、この分野の大御所が、基調講演を行うのが通例である。今回、その役は、スイスの重鎮学者によって行われることになっていた。彼は、威厳に満ちた重々しい足取りでゆっくりと壇上に上がり、演台の前に建った。そして開口一番、彼はこう言ったのである。
「科学の世界の公用語は、皆さん、英語であると当然のようにお考えになっていると思いますが、実は違います」(中略)
「科学の世界の公用語は、へたな英語(プア・イングリッシュ)です。どうかこの会期中、あらゆる人が進んで議論に参加されることを望みます」

 第7章はアリマキ(アブラムシ)について語っている。アブラムシは単為生殖でメスがメスを産んでいる。そして秋の終わりにオスを産み、交尾して卵を産む。卵からは翌春メスが孵り、またメスを産み続ける。晩秋に現れたオスはひよわで、交尾だけしている。この話は第11章の「余剰の起源」へと続く。

 これまで見てきたとおり、生物の歴史においてオスは、メスが産み出した使い走りでしかない。メスからメスへ、女系という縦糸だけで長い間、生命はずっと紡がれていた。(中略)それまで基本仕様だったメスの身体を作りかえることによってオスが産み出された。オスの身体の仕組みには急造ゆえの不整合や不具合が残り、メスの身体に比べその安定性がやや低いものとなったことはやむをえないことだった。寿命が短く、様々な病気にかかりやすく、精神的・身体的ストレスにも脆弱なものとなった。(中略)


 では今日、一見、オスこそがこの世界を支配しているように見えるのは一体何故なのだろうか。それはおそらくメスがよくばりすぎたせいである、というのがささやかな私の推察である。


 多くの生物種において、オスは遺伝子の運び屋としての役割以上の役割を担ってはいない。アリマキのメスたちは、秋口に風が冷たくなりだすとオスを産む。メスの遺伝子を交換するために。それが長い冬を越すために必要な営みゆえに。アリマキのオスは事実、その役割を行うと冬が来る前に死ぬ。翌春に生まれる子どもはすべてメスであり、そこからまた女系の糸が紡ぎだされる。(中略)
 卵を産んだあと、あるいはそこから子どもが孵ったあと、オスがなお子どもを育てるための役割を担わされている種は限られている。それは本来、オスがメスから作り出されたときに予定されていた役割ではなかった。おそらくそのうち気がついたのだ。遺伝子を運び終わったオスにまだ使い道があることに。
 巣を作る。卵を守る。子どもの孵化を待つ。そのための資材を運ぶ。食糧を調達する。メスの代わりをしてメスに自由時間を与える。そのような役割が徐々にオスに振り当てられていった。そのことにメスが「気づいた」、あるいはメスがオスに役割を「振り当てた」という言い方は、擬人化に過ぎるかもしれない。ダーウィニズムに従えば、そのようなオスの役割をたまたま採用した種が、生存上有利になったと説明されるだろう。

 そして著者は、ヒトの祖先の場合、女たちは男に子育てのための家を作らせ、家を暖めるための薪を運ばせた。日々の食糧を確保させ、身を飾るための宝石や色とりどりの植物なども求めたかもしれないと書く。

 実にここに余剰の起源を見ることができる。男たちは、薪や食糧、珍しいもの、美しいもの、面白いものを求めて野外に出た。そしてそれらを持ち帰って女たちを喜ばせた。しかしまもなく今度は男たちが気づいたのだ。薪も食糧も、珍しいものも美しいものも面白いものも、それらが余分に得られたときは、こっそりどこか女たちが知らない場所に隠しておけばいいことを。余剰である。
 余剰は徐々に蓄積されていった。蓄積されるだけでなく、男たちの間で交換された。あるいは貸し借りされた。それを記録する方法が編み出された。時に、余剰は略奪され、蓄積をめぐって闘争が起きた。秩序を守るために男たちの間で取り決めがなされ、それが破られたときの罰則が定められた。余剰を支配するものが世界を支配するものとなるのに時間はそれほど必要ではなかった。