「チェチェンへ アレクサンドラの旅」

 朝日新聞12月12日夕刊に映画評論家の山根貞男が、昭和天皇をモデルにした「太陽」を撮ったアレクサンドル・ソクーロフの新作映画「チェチェンへ アレクサンドラの旅」を紹介している。

 おばあちゃんが兵舎にいる孫を訪ねる。たったそれだけの話が、なぜこれほど胸を熱くするのか。映画のマジックという以外ない。(中略)
 80歳の老女がチェチェン共和国のロシア軍駐屯地へ27歳の孫に会いに行き、数日間を過ごす。演じるのは世界的なオペラ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤ。おおらかで優しく堂々とした姿が、乾いた大地にテントの並ぶ駐屯地と、鮮やかな対比をなす。
 老女は将校の孫の仮設テントに泊まり、熱気と土ぼこりの駐屯地を歩き回る。黙々と小銃の手入れに励むロシア兵たちは、少年のように若く、いい顔をしている。そんな彼らをじっと見詰める老女。子犬のようにじゃれ合っている若者もいて、屈託がない。そんな中をにこりともせず、悠然と歩く老女。会話はなくても、殺風景な世界に、じんわり温もりが流れてゆく。
 老女は外の市場まで足を延ばし、チェチェン人の女性と知り合い、彼女のアパートで休ませてもらう。そこは2階だが、3階から上は爆撃で崩れたままで、目を奪う。砂利道を送ってくれる隣の青年の目の暗さも印象深い。
 全編、実際の駐屯地で撮影され、ロシア兵もチェチェンの青年も本物という。が、画面にはチェチェンやロシアという文字は出てこない。
 ラスト、武装した兵士たちが軍用車両に乗り込む中、老女は出撃する孫と抱擁を交わす。そして、いい匂い、とつぶやく。一瞬、官能性が鋭く走り、ドキリとさせる。
 この映画は、現代世界の戦争を露出させつつ、それを超えてゆく老女アレクサンドラの旅を讃えるのである。

 主演女優のガリーナ・ヴィシネフスカヤはロシアのソプラノ歌手(ソ連のと言うべきか)でロストロポーヴィッチの妻だった。有名な「ガリーナ自伝」(みすず書房)は面白かった。
 ショスタコーヴィチムソルグスキーリムスキー=コルサコフボロディンの歌曲を聴いたが、とてもいい声だ。西側に閉ざされていなかったらもっともっと有名になっていただろう。そしてソ連が開放されたとき。彼女はすでに引退していた。
 この映画は見たいと強く思った。