1967年に北海道大学に入学した小中高と一緒だった友人のK君が、同級生に「てめえ、どっから来たのよ?」と聞いて、相手は喧嘩をふっかけられたと思ったという。K君にしたら「君はどこの出身ですか?」くらいのつもりだったのに。私たちの村で皆がてめえなんて言っていたわけではない。私だったら、君はどこの出身? くらいだったはずだ。
私が驚いたのは、高校を卒業したころだったか、親父が私(一人)に向かって、「みんなは云々」と言ったことだった。この「みんな」は二人称単数なのだ。それが私の村の丁寧な二人称らしかった。つまりこの時初めて親父が私のことを一人前の大人として扱ってくれたという訳だ。
村では相手の名前を呼ぶときも、丁寧に呼ぶときは「弘ま」と「ま」を付けた。しかし姓に「山下ま」とか、屋号に「鷹屋ま」とは付けなかった。名前だけだったと思う。多少あいまいなのは私が田舎を発ってもう40年になるのだ。今では東京生まれって顔をしているのだから。
この「ま」というのは、「さま」の略ではないかと思っている。「弘ま」は実は「弘さま」ではないのか。同様に父母のことも「お父ま」「お母ま」と呼んでいた。「さま」略称説を裏付けないか。