文藝春秋 編『想い出の作家たち』(文春文庫)を読む。故人となった作家たちの家族から、作家の想い出を語ってもらうというインタビューシリーズ。1990年~1993年の『オール讀物』に連載された。インタビューアーは岡崎満義。家族だけが知っている作家の内輪の話が紹介されていて、興味深かった。取り上げられている作家は、子母澤寛、江戸川乱歩、金子光晴、尾崎士郎、今東光、海音寺潮五郎、横溝正史、山本周五郎、井上靖、新田次郎、柴田錬三郎、五味康祐、立原正秋の13名。立原正秋以外ほとんど読んだことがなかったので、知らないエピソードばかりだった。
子母澤寛は猿が好きで一緒に風呂に入っていた。その風呂の中で糞をされたこともあったという。猿が死んだときは涙をポロポロこぼしながら泣いたと三男が語っている。
金子光晴は長男が語っている。光晴が上海へ遊びに行って帰ってこなかったとき、妻の森美千代は寂しくて当時東大生の土方定一(後の神奈川県立近代美術館館長)を愛人にした。光晴は不潔な生活が常態で、一生で顔を洗って歯を磨いたことは1回もないんじゃないかとまで言われている。
横溝正史は夫人が語っている。晩年角川文庫でブームになって映画化もされた。『悪霊島』の映画が完成して、角川春樹が感想を聞いたとき、「景色だけはいいね」とひと言だけ言った。
柴田錬三郎は夫人が語っている。柴田はバレンチノの洋服とダンヒルしか持たなかった。ズボンには自分でアイロンをかけた。夫人も柴田のことを女が書けない作家と言っている。藤原ていも夫の新田次郎について同じことを言っていた。
五味康祐は夫人が語っている。五味はオーディオにうるさくタンノイのスピーカーを持っていた。これは何かで読んだのだが、五味は多摩川に自分専用の水力発電機を作って、そこから自分専用の電力を引いてきたい、それが理想だと言っていた。また手相を見るのが趣味で、自分は58まで生きると言っていたが、事実その年齢で亡くなった。
立原正秋については高井有一の『立原正秋』を読んでいるので、そちらの方で十分だった。