『小林秀雄対話集 直感を磨くもの』(新潮文庫)を読む。小林が昭和16年に三木清と対話したものから、亡くなる4年前の昭和54年にに河上徹太郎と対話したものまで、40年近く12人との対話をまとめたもの。その相手は三木、河上のほか、横光利一、湯川秀樹、三好達治、折口信夫、福田恒存、梅原龍三郎、大岡昇平、永井龍男、五味康祐、今日出海となっている。さて、一読面白いとは言いかねた。
湯川秀樹との対話は本書530ページものうち124ページと全体の1/4を占めるという長いものだが、これが全く噛み合わない。共通するものが少ないせいだろう。対話の日時が湯川がノーベル賞を受賞する前年だったので、せめてその後だったら小林も話題に事欠かなかっただろう。折口信夫とも宣長という共通の話題があるのに、これまた盛り上がらない。なかでは昔なじみの大岡昇平とか今日出海とか河上徹太郎との対話が和やかに進行していた。
大岡昇平との対話のなかに参考になる意見があった。
小林 ぼくは、とにかく人を説得することをやめて25年くらいになるな。人を説得することは、絶望だよ。人をほめることが、道が開ける唯一の土台だ。このごろ、人にはそれだけの道しかないように思っているんだけれども、なんでもいいから僕の好きなものは取る。人から取るの。そういう道はあるよ。だから説得をやめてということは、人に無関心になったわけじゃないんだ。取れるものは取ろうと思い出したんだよ。ずいぶん昔のことだけれど、サント・ブーヴの「我が毒」を読んだときに、黙殺することが第一であるという言葉にぶつかったが、それがあとになって分かったな。お前は駄目だなんていくら論じたって無駄なことなんだよ。ぜんぜん意味をなさないんだ。自然に黙殺できるようになるのが、一番いいんじゃないかな。
論理が全く通じない相手がいる。スパイ小説作家ル・カレの主人公スマイリーから教わったシラーの句「愚かを相手のたたかいは神も手を焼く」を思い浮かべていたが、小林が言うのだから、黙殺するのが最善の対処法なのだろう。この時の小林は63歳だった。
永井龍男との対話で小林が言ったことも大変参考になった。
小林 (……)近ごろ、小金をためた金持連が、私立美術館をこしらえるのが流行だね。税金を逃れて文化事業が出来るのだから、当然流行するわけだが、インテリの方でも、器物が金持の専有から解放されるのは結構なことだと思っている。いやな流行だね。あすこに入ってしまえば、みんな死んでしまうんだからね。ガラス越しに、名札をはられて、曝し首のように並んでいるだけだ。しかもどうせ小金で買ったんだから、第一流品はありはしない。二流三流のものばかりだ。ということはね、世間に再びばらまけば、愛好者の手によって、また息を吹き返し、現実の美の経験を人々にさせてくれるものばかりだ。その息の根を止めてしまう。それだけのものだ。
そういえば、最近はあちこちで現代美術コレクターたちのコレクション展が企画されている。一人のコレクターのコレクション展は意味があるだろう。だがコレクターたちが持ち寄ってコレクション展を開くのはどうなんだろう。小林秀雄が言っている。「しかもどうせ小金で買ったんだから、第一流品はありはしない。二流三流のものばかりだ」。
五味康祐との「音楽談義」と題する対話も擦れ違いばかりだった。音楽談義とはいうものの、五味の趣味は音楽そのものではなくオーディオ装置なのだ。この対話では触れていないが、五味は多摩川に個人用の水力発電所を作って、オーディオ装置用に安定した電力を得ることを真面目に計画したほどだった。小林とのちゃんとした対話が成り立つとは思えない。
東大で同期だった今日出海との対話は打ち解けたものだ。ほとんど日常会話みたいだ。読んでいてこれが一番ほっとした。
以前読んだ吉行淳之介『全恐怖対談』は結構楽しかった。吉行が対談相手に対してホストの位置に立っていて、相手の話題に寄り添っている。小林はもちろんそんなことはしない。そういう意味では対等の立場で話しているが、必ずしも相手と共通の話題があるわけでもなく、対話することの必然性があるわけでもない。すると、こんな結果になってしまうのだ。
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/12/24
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